「彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。」(ヨハネ19:17-18)
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イエスは十字架につけられたが、その際、磔刑具である十字架を自身で背負ってゴルゴダを登らされる。
かつてイエスは「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」(マタイ11:29)とすべての人に呼びかけていたが、今、イエスは自分のくびきを自分だけで負っている。
このイエスのくびきとは、この極刑の死とよみがえりというわざの完成、救いの道の開通である。 昔聞いた、イエスの十字架はあなたの罪の身代わりですという話は、当時より自分には釈然としないものがあった。それなら今のすべての人は既にアダムの園に戻れているのではないか。
じっさい私は今、アダムの園にはおらず、この世でもがき続けている。
その私がイエスの十字架の死と復活をこれほどありがたがるのは、今、自分があり、また今の自分を支えているものが、このイエスのわざによるものだからであり、またわざを完成させる過程でイエスが磔刑具の重みに耐え続けてくれたからである。
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イエス様の平安がありますように!
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