「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:1-3)
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イエスの栄光を現す時が来た。
「あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため」である。
ここでイエスは「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ること」と言うのだが、ではここにいう知るとは何であろう。
それは頭の理解、知識とは異なるものだ。
たとえば聖書のここにこう書いてあるという知識というのは、たとえば律法のようにいのちに結びつくものではあっても、いのちそのものではない。イエスも「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。」(ヨハネ5:39)と言っている。善悪と知識の実を食したアダムは、どうしても頭が勝ってしまうところがある。
この頭でっかちなアダムからの解放こそイエスの与えるいのちなのである。
このいのちは、かつてのように自分からもぎとることはできない。十字架のわざを成し遂げたイエスが自分に会いに来ていただくもので、私たちはその自分の栄光の時を待ち続ける。
そしてそのときには生ける水が奥底から吹き出てきてそれが尽きることはない。人の頭の理屈ではなく、これが神の大きな智恵であった。
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イエス様の平安がありますように!
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