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zuzu's room ズーズーズルーム

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ごくたまに英会話レッスン! With Free English Lessons (Rarely)
                    


――アイツらは、そこで待っているんだ。
アパートの住人が帰ってくるのを。
アパートのドアが開けられる瞬間を。
その時間がすぐにやってくるのを、アイツらは、知っているんだ――



その夜、私はすっかり暗くなってから帰宅した。
2階にある自分のアパートを目指して階段を上る。
暑い。
昼の間、夏の日差しに焼けたアスファルト、家々の塀、石垣、
そんなものから輻射される熱が夜の恵みであるはずの
ささやかな冷気を打ち消してしまう。
30秒後、あと10歩を歩けば、我が家の中に逃げ込むことができる。
あと7歩、5歩――。



階段を登り切ったら、私の部屋のドアはもう目の前だ。
部屋に入ったらまず冷房のスイッチを入れて、服を全部脱いで、
冷蔵庫の中から冷たい水かソーダのボトルを出して、
グラスにスペアミントの葉を入れた中に注ぎ入れ、
一気に飲み干そう。もうすぐそこに天国が待っている。



しかし、そう思った矢先、バッグから鍵を出しながらドアに近づく私の心を

ドアのすぐ上に見える不吉な影が不安で満たし始めた。


――あれは、何だ。


ドアの真上、ドア枠のすぐ上の、あの真っ黒な、不吉な形を
したものは。
「あれ」だろうか。いや、何かの間違いだ。
つい数日前、私はあれの忌避剤を、自らも死ぬほどの思いをしながら
玄関周りとベランダに散布したところではないか。
あれのはずがない。
あれであってよいはずがないのだ。
しかし、その不吉なものは門燈のつくる影の中にあって、

その正体を容易に明らかにしない。
あれが、あれであってもなくても、
そうっとドアを開けて、すぐに閉めてしまえば、
あれがドアの開いたことにも気づかぬうちに
私とあれの間にはドアが作り出す障壁ができる。
そのまま朝になればあれもどこかへ行ってしまうだろう。
だが、もし、あれがドアが開いたことに気付いて、一瞬の間に
ドアの中に入ってくれば、戦いの火ぶたが切って落とされることになる。
私には熱気に火照った体を癒し、平和の中に憩うことは許されず、
あれもまた生きて再びドアのこちら側に出てくることは許されない。
私にとってもあれにとっても、今夜という夜を平穏無事には
済ませられぬことになるのだ。



ゆっくりと近づき、しばしたたずみ、様子をうかがう。
あれは変わらず影の中にいて動かぬ。
こんなにじっとしているものが、ドアが開いたからといって
突然動き、あまつさえドアの中に入るということをするだろうか。
1秒か2秒の間に、そんなことが起こるだろうか。



私は決断した。
そんなことは起こるまい。
夏の間中、このドアやドアの周囲にとまった虫たちを
いつも出し抜いてきた私だ。
鍵を開けてから呼吸を整え、一気にドアを開け、中に身を滑り込ませ、
後ろ手に素早くドアを閉める。
羽虫も、小さなガも、ヤモリも、カメムシも、
電光石火のこの私の動作に打ち勝って、私より先に、
あるいは私とともにドア枠をくぐって中へ入ってきたものは
この夏まだいないのだ。
あの黒いものがなんであろうとも、他の虫より素早く動ける
と考えねばならぬ理由はない。



まずは鍵を開け、鍵を鍵穴から抜いてバッグにしまう。
いつもは手で持ったまま入って所定の位置に吊るすが、
今夜はなるべく手を自由にしておきたいからだ。
あの黒いものは微動だにしない。
次にドアを叩いてみた。
振動を感じてドアが開いたと勘違いしたあれが動くかどうか
見たかったのだ。
しかしそれは動かない。


・・・もしかして、本当に木の葉か何かかも知れぬ。


少しだけ開けて様子を見よう。
少しでも動く気配を見せればすぐに閉めるのだ。
ドアレバーに手をかけ、押し下げ、手前に引いた・・・・
その瞬間、その黒いものが動くのではなく、真下へ落下した!
落下してたった2センチほど開いたドアの隙間から部屋の中の
暗闇に消えてしまった!
待て、まっすぐ落下したならドアより外の、アパートの通路に
落ちたはず!ただ落ちたからと言って中へ入ることはないはずなのだ。
そう思って見回したが、外には落ちていない。
となれば、やはり内側へ入ってしまったと考えるほかない。

怒りと不快の念が私の胸を黒くくすぶらせる。


――おのれ、G!!


私の目がまだはっきりとその姿を確認できもせぬ
うちに、その黒いものの正体はもう明らかとなったのだ。
Gだ!やはりGなのだ・・・・・・!
あの、明らかな侵入意思。
私が葉と思い込もうとするまで微動だにせず、何の意思も見せず、
油断させ、ドアを開けさせ、開いたと見るや「入る」のではなく
「落ちる」ことで侵入を成功させた。
そんな芸当のできる生物がGの他にあろうか。
そんな作戦を持ってまで、家に侵入することを目標とするムシが

Gの他にあろうか。



なんということだ。
目の当たりにしても信じられぬ。
「落ちる」ことを一つの動作として利用することができるとは。
なんという、なんというヤツなのだ。

しかも、落ちながらおそらく途中でドアの内側の面を蹴るか何かして
内側へ落ちるための水平方向の力を加えたものと見える。
敵に対して称賛の念を禁じ得ない。

それと共に考えた。
私が今から相手にするのは、バカではない。
ガや蚊やハエとは違うのだ。
本気で戦わねば、負けてしまう、私は。



そうっとドアを開け、その位置から玄関の中をうかがう。
玄関の横にある靴箱の上の壁の高いところに、真っ黒な
大型のGがいて、足早に動く。
全身を走る嫌悪感を必死の思いで制し、玄関に入る私。
Gと同じ空間に身を置くことは、本来耐えられぬ。
しかし、今は耐えねばならないのだ。

コイツを野放しにしたまま生活することは絶対にできぬ。
殺すのだ。今すぐ。
スリッパもはかずに洗面所に行き、戸棚から新品の
ゴキブリの忌避剤を取り出す。
これは忌避剤ではあるが、直接ゴキブリに噴霧すれば殺G剤
にもなるのである。
どうやって包装のフィルムをとったかも覚えていないが、
フィルムをはがし、キャップをとり、噴霧ボタンに指をおいて引き返す。
Gは移動して、廊下の突き当りの寝室側の壁にいる。
そのすぐ下に散乱した私のバッグやスーパーのレジ袋を
すべてダイニングに移し、ダイニングのドアを閉める。
Gが袋やバッグの中に入るのを防ぐ意味と、殺虫剤がかかるのを防ぐ意味があった。
頭の上にGが落ちてくる恐怖と戦いながら、寝室へのドアも閉める。
今から何が起ころうが、それはこの廊下の間だけで起こるのだ。
この空間以外に戦いの場を広げ、ヤツが逃げ隠れする場の拡大を許すわけにはゆかぬ。



いつもなら絶対に居住空間では、そして屋外でもマスクをしないかぎりは
噴霧しないこの殺虫剤の噴霧口をGに向け、マスクなしの私は噴霧ボタンを押下した。
シューーーーーー!!!!!
煙る空気、フローラルの香りに包み隠された毒のニオイ、
そして、そして飛翔するG!!!!!

まるで飛ぶのが当たり前のもののような飛翔力だ!
そして、ああ、なぜだ!!
まっすぐ私に向かって飛んでくる・・・!!!


今でもよく覚えている。
アドレナリンによって機能増幅された私の瞳が
羽を高速で動かしながら向かってくるGの真正面からの
姿を、静止画像の連続を見ているかのようなクリアさで
捕捉した。
そうか、忌避剤をまいた通路ではなく、こうやって飛んできて
ドアの上に止まっていたのか――。
恐怖にあとずさりしながら頭の後ろの方にそんな理解が浮かんだ。
飛んでくる敵機に向けて、噴霧ボタンを押す!!
シューーーーーー!!
ダメだ!間に合わない!!
殺虫剤がかかってヤツが飛ぶのをやめたとしても、
こちらに向かう惰性の力はすぐには止まらない。
とまられる!!!
夏の薄着の私の体に、Gが、Gがとまってしまう!!!!!
殺虫剤の煙る中、あとずさりに失敗して尻餅をついた。
神よ!!!



・・・どうしてそうなったか覚えていないのだ。
尻餅をついたときに、おそらく一瞬まばたきをしたのだと思う。
その間にGを見失い、次にGの姿を追ったとき、ヤツは
廊下の一方の端で尻餅をついた私とは反対側の

寝室のドア枠の上にいた。
飛翔を開始した地点に戻っていたのだ。
殺虫剤の噴霧力に負けてUターンしたのだろうか。
Gとは、飛びながらUターンまでできるのだろうか?
わからないが、助かった。
Gとのダイレクトコンタクトは免れた。
神は私に味方したのだ。全力で殺生行為推進中のこの私に。
ちょっとヘンかもしれないが。



寝室側の壁にいたGは、そのまま降りてきて寝室のドアの
真ん中あたりに来てしばし止まったとみえたが、間もなく

薬に侵された全身をガクガクさせて、狂ったように動き始める。
構造上絶対にピッチリとは閉められぬ寝室のドアの隙間が
目に入る。あそこから寝室に入られたら・・・!!
寝室を入って仕事机のある右側へ行ってくれればよいが、
左側は私のベッドがある。
私のベッドや寝具の上を殺虫剤まみれのGにバタバタされたら、
この戦いに勝っても、そのあとが大変なことになる。
寝具をすべて引っ剥がし、新しいものに変えなければ絶対に寝られぬ。
そして明日は大洗濯をせねばならぬ。
そんな懸念が見る間に現実へ向かって進み始めた。
Gがドアの隙間から寝室へ入ってしまったのだ!


やめろ!!やめろ!!やめろ!!


うめきながら後を追う。
クーラーと冷水で癒されることを得ず、熱気を持ったままGとの戦いに

突入した私の体から汗が噴き出す。
頭から流れてきた汗が目に入ってしみる。
しかしそれをぬぐっている時間はない。
ドアを開け、電気をつけたが、ヤツの姿は見えぬ。
しかし、断末魔のうごめきから発せられるカサコソという音が
聞こえた。
右側だ!!
ベッドの方ではない。

ドアの隙間から入って、そのままドアの向こう側の面を伝って歩いたのだ。

助かった!リネン総入れ替えと洗濯は免れた・・・!


――Gよ、私の仕事机の下がお前の死に場所だ。
私はお前を容赦せぬ。今この場で、すぐにお前の息の根を止め、
お前の死骸をビニール袋に入れ、お前など跡形もないようにして、
そのあと私は晩飯を食らうのだ。
私のアパートのドアの上で、私がドアを開けるのを待つことを決めた
その時のおのれを呪うがいい。


数秒後Gを再び捕捉、殺虫剤を噴霧するが、死なぬ!

震えて立たぬ脚で床を掻き、腹を引きずりながら私の方へ

にじり寄ってくる・・・


死ね!!死ね死ね!!死ねええええええ!!!!!


心の中で叫びながら、噴霧ボタンを押し続けた。

シューーーーーーーーーーー!!!!!!!!
・・・・そして、とうとう、殺虫剤に濡れた床の上で、ヤツは動かなくなった。



ユラリと立ち上がり、2つある寝室の窓を2つとも全開した。
その足で風呂場へ行き、換気扇を回す。
ダイニングの窓も開けた。
窓に顔を近づけ深呼吸する。
こんなに殺虫剤を吸い込んだのは生まれて初めてかもしれぬ。
息を整えてから、使い捨て手袋をして、殺虫剤を撒いたと覚えのある
ところの壁や床を拭き掃除し、最後にあおむけに横たわるGのところへ
行ってキッチンペーパーでつかんで捨て、殺虫剤の海を中心に念入りに
拭き掃除をし、すべてをビニール袋に入れて口を堅く結び、
戦いを終えた。
立ち上がるとクラッときた。
殺虫剤の毒が回ったのかもしれぬ。



そのあとGに宣言した通り、晩飯を食い、テレビを見て
寝たが、食事の用意をしている時も頭がクラクラした。
今日は喉が痛い。
24時間経ってもまだ痛い。もともと非常に喉の弱い私だが、
噴霧量も多かった。
忌々しいが、敵は命を失ったのだから、生き残った私の
喉が痛いぐらいは仕方あるまいと思う。



その昔、私が飼い猫を散歩させているとき、猫がカマキリを見つけて
いたぶったことがあるのを思い出す。

猫は、カマキリを手で押さえたり、ちょっと噛んでは放してみたり、
いつかは殺してしまうのだが、そうなる前に止めようと思いつつ、
私が見ていると、そのカマキリは終始カマをふりかざし、
人間に対するトラよりもはるかに大きく強力な敵に正面から立ち向かい続け、
決して後ろを見せることもひるむこともなかった。
カマキリの、その誇り高き雄姿に心を打たれた私が猫を引き離そうとした瞬間、
カマキリが飛び上がって猫の顔にとりつき、猫は痛がって首を振り、
カマキリがやっと離れたあと、戦意喪失したのは猫の方だった。
あのとき味わった感動とカマキリへの敬意を、私は忘れない。



そして今日、私は何度も思い起こす。
体格も体力も圧倒的に強大なだけでなく、致死性の武器まで持った
この私に迷わず向かって飛んでくるアイツの姿を。
闘争心なのか、単なる反射なのか知らぬが、
野性を離れた人間がどこかに置き去ってきたもの
であることは間違いない。



それゆえに、私はGを嫌うが、侮蔑することはない。
人間のクズを 「ゴキブリのような」 などと形容する
ことも絶対にしない。

殺すが、その死を軽んじない。

だから今日、私はアイツのことを考えるのだ。