今朝、
じーちゃんばーちゃんのことを思い出して
いろいろと脳内会話をしていた。
大好きなじーちゃんばーちゃんのことを
思い出す時に必ずでてくるもののひとつが
「うがいコップ」
当時(高校生くらいだったかな?)
私にはとってもお気に入りのコップがあった。
アフタヌーンティーかどこかで買った
大きめのグラス。
透明なグラスに
モスグリーンでイラストや英語の言葉が描かれていて
使うたびに心がときめく
大好きなコップだった。
ある日、
そのコップが無くなっていた。
1階のキッチンのあるはずの場所にない。
どこにいったのだろう???と
2階のじーちゃんばーちゃんのキッチンを覗いてみると・・・
キッチンシンクの窓際のスペースに
私のお気に入りのコップが置いてあった。
「うがい」
と書いたシールが貼ってあって
中には緑色の謎の液体が入っていた・・・
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まじか?
びっくりした。
なぜ、ここにあるんだ?
いつから?
この液体は何・・・?
一瞬、時が止まり
頭がぐるぐるしていた。
だけどすぐに
「しゃーない。」
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と思った。
これが姉の仕業だったら
ブチ切れてケンカになっていたと思う。
そのお気に入りのコップのことは
すぐに諦めた。
そしてその後、
そのコップのことには一切触れなかった。
本当~に今でも思うけど
じーちゃんとかばーちゃんだと
頭にくる!
腹立つ!
とかってことがない。
かわいい。
おもろい。
しゃーない。
そんなことしか出てこない。
これはもう
「私がそう感じるから」
でしかない。
たくさんかわいがってもらった、とか
たくさんお金かけてもらった、とか
たくさんお世話になった、とか
そういう思考が入り込む余地もない。
ベースとしてもう、
じーちゃんだから。
ばーちゃんだから。
それでしかない。
理由なんて、なんもない。
感覚でしかない。
本当に。
隙間があったら、入りたいのだ。
そんなことを考えていたら
ふっと繋がったことがあった。
ずっと前に
「同じことしても、○○さんや○○さんだったら
こんなに厳しくしないくせに!!」
「なんで私だけ!?」
「ずるい!!」
って思って怒ったことがあった。
家族のように愛情をかけてもらっていることは
十分にわかっているのだ。
だけど、
明らかに、あの人やあの人と私とでは
対応が違うのだ。
その時は
ひどい!と思ったり
自分が悪いんだ、と思ったり
していたけれど・・・
それもたぶん
「そうだから」
としか言えないのだろうな、と思った。
「そう」なのだ。
ただ、それだけ。
それをあれこれと理由をごちゃごちゃ考えることに
何の意味もない。
あの人は性格がいいから
あの人はかわいいから
あの人は貢献してるから・・・
後付けでいろんな理由はつけられるだろうけど
たぶん
「そう感じるから」
以上、だ。
おばあちゃんだと許せるけど
おねえちゃんだとイラつく、と同じ。
それで態度が変わること自体は
別にいいことでも悪いことでもない。
ただ、そうなのだ。
自然とそんな風に思えて
ふわっと心が軽くなった。
「その瞬間、そうである」ものを
無理になんとかしようとしたり
どうにかならないか?
自分はどうしたらいいのか?
どこがダメなのか?
なんて考えたり
人をコントロールしようとしたり
自分を克服しようとしたりすることは
まったく意味がない。
これでいいのだ。
そうなのだから。
ただただ、私がどう感じたか
見てあげればいい。
もう、本当に。
自分に集中するだけ。
そしてそれぞれが
私は今、どう在りたいか。
それだけなんだよな。


