父はギタリストでした。有名ではありません。
ギターしか取り柄のないような人でした。
でもギターを弾かせれば天下一品でした。今でも私にとって父に優る音色を奏でるギタリストはいません。
私が22の時父は吐血し救急搬送、ガンや動脈瘤やらいろいろ見つかり、23の時になくなりました。
来週七回忌の法要です。
いつか書くつもりですが我が家は貧乏でした。
父も不器用なりにたまに副業をしてましたが3か月ともったのはなかったように思います。
遺伝性の肝炎があるのを知りながら、バブルがはじけて仕事が減ったのを世の中のせいにしてお酒をずっと飲んでました。
病気になったのも自業自得です。
そんな父だから私の反抗期はなかなかでした。たぶん、とてつもなく冷たいまなざしで蔑むように父を見ていたでしょう。会話も「ああ」「うん」「で?」とかだったのではないかと思います。
そんなときでも父のギターの腕と音楽の知識だけは尊敬していました。
多分、その頃まともに交わす会話は音楽の話くらいだったと思います。
当時Rockを聞いていた私は重低音が好きで、ベースやってみたいとさらっと言ってみたことがありました。
ある時出かけるぞと言われ車に乗ってついた先がお茶の水。
楽器屋に入ってベースを選べと。
飽きっぽい性格なのも自覚していたし家は貧乏だし2万もしないものを選びました。(今思えばもっといいの選べばよかった 笑)
幼稚園から中2くらいまでピアノを習ってました。
ベースに触るようになって、自分はピアノを習っていた10年間なんともったいないことをしていたのかと思いました。
ベースとの相性はぴったりでした。
一時ギターもやったけど全くの別物。
しっくりくる。ぴったりくる。
何時間でも練習していられる。
本気でベーシストを目指した時期もありました。
都合が合えば父の仕事について行って、リハのときにセッションしてもらったりしてました。
少し距離が縮まりました。
進路を考える時期が来て、ミュージシャンの現実を知っている私は堅実な道を選びましたが今でもたまにベースは弾きます。
弾く曲はもろに父の影響を受けてます。
今も父の音楽センスのおかげで人脈を増やせたりします。
晩年仕事がなかったこともあり闘病中なことを周りに伝えていませんでした。(父が望んだのだけど)
いざ父が亡くなって仕事仲間たちに伝えると、父の偉大さがわかりました。
音楽性、知識、テクニック、センス、人柄。
父は厭世観が強く、自分を卑下して卑屈で、「どうせ俺なんて…」っていって一日の半分お酒飲んでるような人でした。
でも父が思っていた以上に父はちゃんと周囲に認めてもらえていました。
私たち家族も、今でもCDなどから父を感じることができます。
父は優しかったけど、だからこそ弱い人間でした。
自分を売り込むのも下手くそで良いオファーが来ても音楽性がどーのこーので家族の困窮より自分の音楽を優先し、最終的にオファーも来なくなった。
その人がどのような人間だったか、家族でも、実際のところはその人が居なくなってから偉大さであったり存在感を認識できるんだなと思います。
ステキな音楽センスを授けてくれた事に感謝しながら、私は強く逞しく生きていきます。
何を書きたいのか上手くまとまらなくなっちゃったけど
ま、人生いろいろですね 笑