40年前に4年間の大学生活を送った街にやってきた。昨日は早朝5時前に自宅を出て、昼頃に山中湖と河口湖で富士山を見てから、こちらにやってきた。夕方のニュース番組で昨日の富士山は特別きれいで、都内からもその姿が見られたらしい。実際、透き通るような青空をバックに、それこそ絵に描いたという表現にふさわしい姿だった。そんな富士山を見られただけで、今回の旅は有意義だと感じた。大学2年の時、名前も知らなかったモスバーガーを食べる為に車を持っている友達に富士吉田に連れてきてもらったことがあった。あの日も昨日と同じような青空で、細い登り坂の道路の目の前に現れた雪をかぶった巨大な富士山だった。

その後、大学に向かったが、予想していた通り当時の街とは大きく様変わりしていた。一言で表現するなら、「ごちゃごちゃ」になっていた。10年前を一昔と言うが、その4倍の四昔で多くが変わっていない方が異常なのとが、高台にある大学に続く長い登り坂には多くの建物が立ち並び、のどかな風景は消えていた。大げさに言えば、変わっていなかったのは周囲の山々と近くを流れる大きな川くらいだった。そんな中すごく嬉しかったのは2年生の時に移り住んで3年間暮らした下宿が、ほぼ原型を残したまま立っていたこと。名前もそのままだし、建物の隣にある田んぼもそのまま残っていた。それを見られただけで、この街に帰ってきた価値があった。2時間くらい街中を歩き、一駅だけ富士急行にも乗った。すれ違う学生達はもちろん、40歳に満たない人達は当時生まれてもいなかったんだと考えると思わず笑えた。

久々に長い時間歩いたので、朝までぐっすり眠れた。昨日は良い一日になった。特に意識して出かけてきたわけではないが、いわゆる終活の一つを終えた清々しい気持ちになっている。大学の4年間はこれまで生きてきた60年の単なる4分の1ではなかったということがよくわかった。
定年退職をして8ヶ月が過ぎた。4月に学習塾を始め、夜は毎日そこそこ忙しいが、昼は全くのフリーで何もすることがなく時間を持て余している。現役の時に憧れていたはずなのに。贅沢な悩みなんだろうなぁ。

先週ふと、大学で4年間過ごした街に行ってみようと思った。山に囲まれた小さな田舎町。卒業してから40年も経っているから、きっと隔世の感があるんだろうと思う。住んでいた古いアパートは消えているだろうか。外食していた飲食店は残っているんだろうか。急に色々なことが思い出され、無性に出かけたくなり、塾を2日間休みにしてホテルを予約し明後日から一泊二日で出かける。車で5時間強かかる。妻は呆れている。

昔のことをしばしば振り返るようになったら本物の老いが始まったと言うらしいが、自分がこうなってみると正しい説だと思う。この先せいぜい生きて20年。そんな不確定な日々を思うより、思い出がたくさん詰まった60年を振り返る方が確実に楽しい。

明後日は早朝6時には家を出て、あちらに昼に着き、レンタサイクルで街を散策する。