2012年4月5日 0:53に母方の祖母が亡くなりました。
肺がんで1ヶ月ちょい前に入院し、毎日病院に通ってはいましたが、
日に日に弱くなっていく祖母の前に、
毎日病室の花の花瓶を変え、好きな相撲のDVDをもっていき、
日々泣くことしかできませんでした。
祖母が生きているうちに独立しようと思い、
見切り発車のまま4月1日、フリーランスで独立しました。
祖母に伝えると、ほぼ喋ることさえままならぬ声で
「事務所に行きたい。あんたは賢い子やな」と
私の手をぎゅっと握ってくれました。
また、私は涙が止まりませんでした。
東京出張から帰ってきてすぐ、祖母の病室に行きました。
もう眼をあけることもなく、心臓だけ動いていました。
ただ、私達家族が話かけると、涙を浮かべていました。
病院の閉門が22時なので、一旦私達ば病院を出ましたが、
その後急変し、安らかに息を引き取りました。
大正生まれの祖母は、15歳で看護婦になりました。
当時は、最年少の看護婦で新聞に載ったんだよと
新聞の切り抜きを見せてくれました。
マイペースで少し口が悪くて努力家で
何よりもお花が大好きのオシャレでかわいい祖母でした。
私が最後に話した言葉は、バラの花を病室に持ってきた私に
「ありがとう」という言葉でした。
告別式は
私達家族が納得のいく内容ではありませんでした。
精一杯、私は抵抗したんだけど、
半分くらいしか止めることができませんでした。
人の道を外れるというのは、こういうことなんだなと
叔父、叔母を見て改めて思い、ぞっとしました。
お金、嘘、プライド、土地、ギャンブル、宗教、、、、
人の汚さ、怖さを改めて知りました。
祖母に合わせる顔がない人たちが
こうしてのうのうと暮らしていることが
信じられなかった。
「経営者になるんだったら、人と切ったりする勇気も必要。
経営者ってのはとても孤独なんだよ」
と、知り合いの経営者にいわれたことがありました。
そして、私は家族を大事にする、そんな経営者に改めてなろうと思いました。
私が、祖母に対して1つだけ心残りがあります。
祖母は私に対して最後に「ありがとう」という言葉を残してくれたけど、
私は涙で祖母に何も云えなかったことです。
私もその時「おばあちゃんありがとう」と
なんで言えなかったんだろうかと。
そう言ったら、本当にお別れになる気がしたから・・・
でも、最後に伝えればよかった。
おばあちゃん、今までありがとう。



