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ショコラのブログ

ブログやら語り。

実写マレフィセントについて。
先日、地上波放送した時に散々Twitterで語った事のまとめです。
同じ事を繰り返してるだけです。





公開当初、以下の理由から個人的にこの映画はNGでした。

・眠れる森の美女の酷い2次創作みたいな展開
・フィリップを役立たず化し、眠れる森の美女のロマンスへのリスペクト感がない事。
・妖精トリオを無能化、ステファン王を悪役化した事。
・真実の愛を「恋愛かと思ったら女性同士の家族(この場合は擬似親子)愛」という、アナ雪公開の直後で二番煎じ感がある事。

そして最大の不満点は、誇り高き悪役のマレフィセントに悲しい過去だの善人的な要素を付けた事。

でも、眠れる森の美女はあくまで元になっただけで、実写マレフィセントとは全く違う作品。
童話の眠り姫と眠れる森の美女にも同じ事が言えるし、そもそもディズニー映画は、原作となった童話はあくまでベースにしてるだけのオリジナル作品。

だったら、マレフィセントだけ毛嫌いする必要もなく、眠れる森の美女とは別物として受け入れてもいいのではないかと思うようになりました。

でも1つだけ以前から変わらない不満点は、宣伝文句。
「眠れる森の美女の禁断の真実」ではなく、「眠れる森の美女から誕生した新しい物語」と宣伝するべきだったと思う。

しいて言えば、ステファンのように悪役という役割があるわけでもないのに、オーロラへの愛情が希薄になった妖精トリオ。
(眠れる森では、ケーキ作りや洋裁は下手ながらもオーロラへの愛情が強く感じられた。)

眠れる森の美女の主要テーマは、クラシックな童話らしい姫と王子の美しいロマンス。
マレフィセントの主要テーマは、善から悪へ移る心の複雑さ、悪事への後悔、懺悔、贖罪、そして母性による擬似親子愛。

善人に悪が芽生える展開はステファンも同じ。
(断じて、眠れる森~の陽気で優しいステファン王ではありません。別人です。)
納屋に住んでる孤児という時点で、彼の不遇さが伺えるが、そこからもっと良い暮らしがしたいとか地位が欲しいという野心が芽生える事自体は悪い事ではない。
つまり、彼は最初から悪人だったわけではなく、少女マレフィセントと恋をしていた頃の気持ちは本物だったはず。
でも彼は恋人を裏切るほどの歪んだ野心家になり果ててしまった。

マレフィセントも、恋人に裏切られた怒りから「罪のない赤ん坊に死の呪いをかける復讐をする。」という悪に成り果ててしまい、善から悪への移行という事自体は共通している。

復讐を行いながらも、その対象であるはずの赤ん坊を放っておけずに母性が芽生えるマレフィセント。(=情を失っていない。)

最初は恋人を裏切るも殺せなかったのに、彼女への恐怖と復讐心に取り憑かれ、死に際の妻にも構わず、家臣達を虐げ、娘との再会にも愛情を見せないステファン(=情を失い、狂っている。)

二人の決定的な違いは、自身の悪を悔い改め、贖罪しようとするかだと思う。

本作の主要テーマが、眠れる森の美女のようなロマンスではなく、贖罪であるならフィリップの役割も全く違ってくる。
本作では、オーロラとフィリップは出会ってお互いに興味を持っただけ。
眠れる森~でも出会ったばかりだが、クラシックなディズニー映画らしく、二人で歌を歌って愛を深めてるし、本人達は気付いてなくとも許嫁同士である。
そのためか、二人は運命的なものを強く感じている。
それに対して、本作ではただ出会っただけ。
しかも、眠れる森~ではフィリップは自身の意思でドラゴンに立ち向かい、オーロラのために戦ったのに対して、
本作のフィリップは魔法で眠らされて連れてこられただけで、状況を何も把握していない。
これでは眠れる森と違い、フィリップが呪いを解く道具と化してしまうので、彼のキスでは目覚めない。

本作でオーロラを目覚めさせる真実の愛のキスは、マレフィセントの贖罪のキス。

眠れる森ではフィリップはオーロラのために命懸けで戦い、
本作ではマレフィセントが危険を厭わず、オーロラのために敵地まで来ており、
いずれもオーロラを大切に想っているから成せる事。

アナ雪や実写マレフィセントでは、「女性だけで問題を解決する、ヒロインは男性を不要とする時代」「男女のロマンスの否定」と言う人もいるが、私はそうは思わない。

アナ雪では主要テーマを姉妹愛としながらも、アナはクリストフと結ばれてるし、クリストフやオラフという男性の活躍が不可欠だった。
実写マレフィセントでも、フィリップは女王になったオーロラの元に祝福に来ており、二人の関係の発展を望める雰囲気になっているし、
恋愛でなくとも、マレフィセント自身がディアヴァルくん(男性)の協力を必要としている。

つまり、恋愛否定でも男性不要でもない。
男性不要を描く事が女性として自立したヒロインだとは思わないし、
男女問わず、助けたり助けてもらったりする対等な関係の方が望ましいと思う。

そして、男女の恋愛否定ではなく、愛の定義を広げているだけである。
ディズニーでは真実の愛は、恋愛として描かれてきたが、従来の恋愛も描きつつ、アナ雪なら姉妹愛、実写マレフィセントなら
血の繋がらない母子愛といったように、いろいろな形の真実の愛を描くようになったのだと思う。


ちなみに、眠れる森の美女のマレフィセントは実写とは違う、誇り高き悪そのもの。
こっちでは、彼女が呪いをかけた理由なんて「彼女が悪の支配者だから。」で十分。

完全に個人的解釈だが、「誕生祝賀会に招待されなかったから。」なんて口実だと思う。
悪の支配者ともあろうマレフィセントが、赤ん坊の祝賀会なんて行きたいだろうか?
行けない(招待されない)事を恨むだろうか?
それはあくまで口実で、待望の姫の誕生日という王国そのものの幸せをぶち壊すのが目的だと思う。
なぜなら、彼女は全ての悪の支配者だから。
ここまでピュアな悪役である眠れる森の美女のマレフィセントは最高な悪役と言える。
悪役である彼女には、悲しい過去や理由なんて必要ない。