昨日のミカエルさんの言葉がひっかっています。

 

一番人間にとって必要なことは「神と繋がっていることであり、神のご意志のもとで生きること」です。

神はそれ以上の事を人間に求めることはありません。

 

善行を行うことを人に課しているわけではない。そう捉えるべきなのですか?

どこか、納得がいくようで行かない気がします。

 

M:

そうですね〜。

例えば、人に善行を施す場合ですが、イエスキリストは「善は隠れて行いなさい」そのように弟子達に教えています。

 

有名人が大っぴらに寄付をしたり、こんな良いことをしました!というのではなく誰にもみられないところで密かにやることの方が、価値があると教えました。

 

現代人、特に有名人と名乗っている人々はどうでしょうか?

 

私:その心の奥までは他人には分かりません。

 

M:

そうですね。ですから安易に人を評価してはなりません。

 

現代は有名人の寄付に関連しなくても誹謗中傷をすることが正義であるかのようにSNSを使い世間に暴露します。

投稿する人々のほとんどは、自分はSNSを通じて”善”を行っている!と信じています。

 

寄付に限りません。自分が善を行いたいなら密かにやる方が良い。

 

天はそれを観ています。

誰一人として評価しなくてもその人がどのような心で善を行っているかは大勢の天にいる霊神やご先祖様が観ておられます。

 

天は何も評価しないと思っているかも知れませんが、そのようなことはありません。

あなた方の行動が善良な心から出ているのであればそれは高く評価されるでしょう。

 

私:う〜ん。隠れた善行についてはなんとなく理解できます。

しかし、昨日のお話では神と繋がり神のご意志を行うものが良いとのことでした。

 

あえて、善を行うことに固執することもない気がします。

 

M:

誰かの為にとか、神の為にとか、考える必要は全くありません。

善を行う人は自然に善を行うことができます。

「私はこんなに良い事をしています」と言うことすらないでしょう。

 

これをやったら神様に認められるのではないか?と思うこと自体が横柄ではありませんか?

 

我々天使は、宇宙創造神が喜んでくださるからあなた方に真理を伝えたり、導きをしているのではありません。

また、それが自分達の使命だからと胸を張ってあなた方と接している訳でもありません。

 

そう、我々は自然に行っていることが誰かの役に立っているだけです。

 

人間も同じではありませんか。

 

殊更に愛を強調する必要もありません。

我々霊神達の活動が愛だと捉えるのであればそれは愛であって、我々は愛を施そうなどとはこれっぽちも思っていません。

 

愛を与えようとか施そうなどおこがましい事だと思っています。

 

愛は全て宇宙創造神に帰するべきであり、愛は全て宇宙創造神から出ているのです。

それを忘れてしまうと傲慢になりどんなに才能豊かであっても、善を行っても死後に天に入れず、天と地の間でウロウロするような霊体となって生き続けてしまいます。

 

そのようなことにならない為に今回のような聖戦が計画されています。

 

天と地の間でウロウロしている・・つまりどこにも行き場のない霊達がとても多いのが現代です。

 

そのため、不可解な出来事や霊達に騙されたり取り憑かれたりして人生の大事な時間を無駄にしている人々がとても多いのです。

 

それに一役買っているのが情報の垂れ流しです。

垂れ流された情報に飛びつき、金銭的に損をしたり心に大きな傷を受けたりしています。

また、スマホにとどまらず、良かれと思っている友人たちのお節介もあるかも知れません。

彼らは一瞬の隙を見計らってあなた方の心や脳に入ってきます。

 

お節介を善行だと思う人々も場合によってはそれらのウロウロしている霊体の場合もあります。

十分な警戒心も身につける必要があります。

 

神々はそのような厄介な時代においても真理を探究する魂達を救いあげて天へと導いてくださるでしょう。

 

注意力と直感力を大いに働かせてください。

直感力は1秒もありません。その1秒足らずの直感こそが天からのメッセージです。

 

再度申し上げますが、何が善で悪かを決めるのは人間ではなく宇宙創造神です。

日常の行動は全て良くも悪くも宇宙創造神に帰依すると心の底から信じてください。