庚道(かのえみち)
 
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2018.3.15


 今回ご紹介する交趾手 (こうちで) に関してはやや複雑かつ長いストーリーになります。 できるだけ簡潔に記したいと思うのでしばしおつきあいください。

 渋谷で仕事をしていた頃のこと、例によってパートナーのデザイナーと夜食を食べに行きました。 なぜかオフィスに帰るのにいつもと違う道をたどり、偶然にも金王坂 (こんのうざか) を登ってきました。 坂の上には当時、焼物屋さんがあってデザイナーとぼくはウインドウに飾られていたピカピカの焼物に目を奪われたのでした。 ふらふらと店に入ってみると 「これは交趾手といって石英を含んだ釉薬をかけたもの」 ということでした。

 それを忘れられなかったぼくは交趾手でググり、京都清水朝日堂という焼物屋さんを見つけたのでした。 早速コンタクトをとり、何度かのメールのやり取りの後でカップ&ソーサーとその他に一品を取り寄せていただくように頼んだのです。

 例によって京都の女性に逢いに行く日を選んで取り寄せてもらいました。 当日、朝日堂さんに寄らせてもらったときに初めて遭ったのがこの器です。



 黄交趾唐草文ということになります。 派手でしょ? 初対面のときはなんじゃこの派手さは? と思ったのですがね、もう20年も一緒にいるとぼくの心の一部に住み着いています。

 交趾というのは現在のベトナム北部、トンキン湾のあたりを指す古名です。 現在のベトナムの焼物というと紅安南と呼ばれるシンプルなものが主流なのですが、その昔、ベトナムの焼物が日本に入ってきたときはこんな派手目のものが多かったのでしょうね。

 交趾手は、詳しいことはわかりませんが釉薬と石英 (つまりガラスですな) を塗るので、その熱膨張率の違いから歩留まりの悪い焼物と聞いています。 交趾のベースはこの黄色のほかに青、紫、飴などという色合いがあって、黄色はまずまず歩留まりのよい方だと聞きました。

 カップにもソーサーにも底には 「秀峰」 の銘が染め付けてあります。 「清水 秀峰」 でググると、秀峰窯 (武内秀峰) がヒットしました。 さいわいにもぼくと同年代の武内真司さんの知遇を得ることができました。

 以前にも記した渋谷区円山町の 「四季彩」のご主人によると 「釉薬とガラスの熱膨張率が異なるので熱湯を注ぐと割れることがある」 と聞いていたので武内真司さんにお聞きすると 「確かに釉薬と石の熱膨張率は異なりますが、実用食器を作っている以上、熱湯で壊れるようなものはお出ししません。 むしろどこかにぶつけたりという衝撃にご注意ください」という丁寧なお返事をいただきました。

 仮のアップをします。 明日以降にまた追加してアップすることにしますね。

2018.3.4


 焼物にさほど詳しくない方でも、関東では益子とか笠間、東海では瀬戸や美濃、近畿以西ですと備前や九谷 (正確には中部地方だけど)、九州では有田や伊万里などはご存知だと思います。

 が、そういう有名どころではなくても各都道府県にそれなりに頑張っている窯元があるのですな。

 それを実感したのが、山形県の上山温泉のたぶん月岡ホテルの売店で求めた平清水焼です。
平清水焼というのは、当時も現在でもほぼ無名といっていいと思うのですが、このカップ&ソーサーは実に品のある器だと思います。 画像ではバックを黒のラシャ紙にしたせいで本物以上に白く見えていますが、実際は淡い青を含んだなんとも微妙な色合いで、お嬢様の訪問着とでもいいましょうか、清楚な景色です。


 窯元は青龍窯といい、ぼくが求めたころは平清水で唯一の窯元であったと記憶しています。

 ちなみにこの記事のためにググってみたところ、七右エ窯という窯元もあるようで、たぶん当時はそちらはサイトを持っていなかったということなのでしょうか?

 山形は正直に言えば東北のなかでもあまり印象の強い県ではありません。 最近は橋本マナミさんがかなり濃厚な印象を刻んでいますが (笑)。 でも米沢牛、最上川の急流下り、温海や山形蔵王の温泉、鳥海山の雄姿、酒田や鶴岡の町並みなど、結構見どころはあるんですよね。

 と、閑話休題です。 とにかく上品な器だと思います。















 青龍窯の十八番の手は残雪釉といい、この色合いが残雪に見えたので以前は「残雪釉」としてアップしましたが、詳しい方々や窯元直々から 「この手は残雪釉ではなく『梨青瓷 (なしせいじ』」と教わりました。 ありがとうございます。 残雪釉というのは青龍窯から望める朝日岳の雪からとったということです。

 ちなみに 「瓷」 というのはほぼ 「磁」 と同義のようなので、梨の色をした青磁と読み替えることができると思われます。

 残雪釉や梨青瓷に興味を持たれた方は青龍窯を訪れてみてください。


購入日時:1997年2月?
購入場所:山形県上山市、月岡ホテルの売店
窯元   :平清水焼青龍窯
銘     :「青龍窯」ハンコ


価格    :7000円

 蔵は大きなもので四歳児くらいまでなら運動会ができるくらいです。 ここもまた人形で満たされています。 母屋とやや趣きを異にしているのは、段飾りではなく単体の市松人形などの寄せ集め多いということでしょうか。

 これで一応、瀬戸屋敷を一巡りしました。 あとは庭を見ながら名残を惜しむだけです。 庭といえば、こんなものが置かれています。








 言うまでもなくウサギですが、たぶん一木造 (大げさか)。 昔の当主の方が造ったものなのか、逗留していた玄人の方が造ったものなのかは知りませんが、これは可愛いです。 以前は前庭に犬の木彫りもあったのですが、今回は見つかりませんでした。

 驚いたのは、敷地内でお弁当を売っている、有料のお茶もふるまっていることでした。 つまり、この期間はそれだけの出店をしても算盤が合うということなのでしょう。 繰り返しますが、何年か前の平日には一人の訪問者もいなかったのに。 売店というのもあるにはあったけどウリになるものなんて何もなかったのに。 今回は敷地内でお弁当を食べている人がかなり多く見受けられました。
ちと驚きです。

 ということで瀬戸屋敷はこれで満喫です。

 また700メートルを歩いて駐車場に戻り、次は小田原市の曽我梅林を目指します。 曽我梅林は一昨年かその前かにこのブログにアップしているので詳しいことは書きません。

 ただひとつ残念なのは、梅まつりにはかなりの観光客が訪れ、かつ公共交通機関の乏しい曽我には観光客を対象とした駐車場は必要だと思われます。 以前に妹と姪と訪れたときはバスだったので心配はなかったのですが、今回車で行ってみるとどこに停めたらいいのかがまるで不分明です。 「梅園→」という標識で梅園に入り込んで 「○↑ ×→」 とか 「行き止まり↑ ←○」 などという看板に従えというのは、はっきり言って理解不能です。

 結局は狭い道の左側に停めることができましたが、左側のスライドドアに梅の枝が引っかかって開けられず、つまり降りることができませんでした。 あっ、右から降りたんですけれど。

 曽我の梅林の観光客対策、特に車での来訪客に対する対応は小田原市に真剣に考えていただきたいと思います。



 駐車場な。   (座間市の大凧祭りの方がましです。 駐車場がきちんとありますから)


 まあしかし、文句を言えば果てはないし、母が3月4日をこんな風に評価して言っています。

「ああ、行きたかった瀬戸屋敷のお雛さまを見られたし、今日は最高の日だった。 お米といでないからhotto-mottoにしましょうね」




庚敬白
 この書き出しの時点でもはや一昨日の話になってしまいますが、3月4日の日曜日に家族で春の風物詩を訪れてきました。

 朝10時15分頃、弟の運転で出発。 3列シートの一番後ろでゴロゴロするのがぼくのスタイルですが、今日はあんまり寝転がる気にならず、東名高速の風景を楽しみます。

 目的地は「あしがり瀬戸屋敷」。 小田原の隣にあたる開成町というところにある旧家です。 ここは以前も訪れたことがあるのですが (そのときのことを2~3年前にブログにも書いたと思うのですが)、今回は瀬戸屋敷が一年で最も盛り上がるひな祭りに訪れることにしました。

 東名厚木インターから大井松田インターに向かいます。 開成町は神奈川県で最も面積の狭い自治体で、しかも瀬戸屋敷は開成町の最もはずれにあり、小田急の開成駅よりも新松田やJR東海の松田の方が近いくらいです。

 途中は省略して現地に近づきました。

 普段なら瀬戸屋敷のわきにかなり広大な駐車場があるのですが、今日は小田急開成駅からのシャトルバス (有料、210円かな) などに占有されていて自家用車はかなり離れた第二駐車場に停めるように言われました。 その距離700メートル。 徒歩でおよそ10分ほどの距離です。

 正直な話をしてしまうと、瀬戸屋敷にこんなに人が来るのか、と驚きました。 以前に訪れたときは人っ子一人おらず、さびしいくらいだったのに。

 しかも普段は入場無料なのに一人400円もの入場料を取る。 そうだなあ、開成町はほかに資源がないからここでとるだけ取らないとなあ‥‥。

 で、屋敷内に入ります。

 これがね、予想外に盛り上がっていたのですよ。 例えば猿回し。



 結構これ、すごかったですよ。 2メートル近い竹馬を猿の「みるく」がはきこなします。 低い竹馬でハードル越えなんかもあって、なかなかのものです。 ちなみに猿廻しのマスターの名前は「めぐみ」さんだそうで、一人と一匹を合わせて「めぐみるく」だそうです。 静岡県の裾野市から来ているとのことでした。

 で、靴を脱いで屋敷にあがります。 正直な話をすると、瀬戸屋敷のひな祭りがこんなにすごいとは思いませんでした。 土間から南に向いた仏間にこんなにすごいひな壇が飾られている。



 これは玄関から南の仏間に飾られたお雛さまですが、少なくとも七段飾り以上のものが四~五セットは飾られています。 写真にはないのですが、このミニチュアの器もすべておそらく京焼の本物、漆器も本漆のものです。

 そこから時計回りにまわっていくと、こんなものがありました。



 わかりますか? 奥がトイレです。 ここは使えませぬということを花で示しているのですよね。

 瀬戸屋敷は母屋からほぼ10メートル以上離れた場所に漆喰づくりの蔵があって、そこに行くまでの渡り廊下にも可愛らしい人形が飾ってありました。 竹を縦にスパッと削いでそこに5センチほどのお人形さんを据えているのです。


























 むしろこれが一番かわいかったかもね。

 で、10メートル以上の渡り廊下をたどって「蔵」に行きますとまた人形の宴です。 人知れず夜中にサンバとか踊った人形もいたんじゃないですかね。




つづく


2018.3.4


 中尾哲彰さんは有田の地に住してはいるものの、有田焼とは称していないようです。
ただし、最近ググったところでは 「玉峰窯」 と名のっています。 ぼくが求めた当時で40代半ばの方でしたから、いまは60代半ばくらいでしょうか。

 渋谷区松濤 (しょうとう) の 「松陶 (まつとう)」 という店 (ややこしい!) で求めたのですが 、その後、東京近辺の百貨店などでは見かけたことがない関東では珍しい器だと思います。



 作者自らが 「銀河釉」 と呼ぶ釉薬はとにかく今までに見たことのない不思議なものです。 透明感のある濃い緑の釉薬の上にマットな感じの淡い緑が乗っていて、なるほど何億光年も遠い宇宙にに無数の銀河がちりばめられているようにも見えます。  この銀河釉はこの緑のほかに、青、黄色、赤などさまざまな色があります。

 ノウハウは当然のことながら玉峰窯のサイトにも語られておらず、いまだにどう焼けばこうなるのかは判りません。 ただ焼成温度が1200~1250度とかなり高いので、一見陶器のように見えながらも (このくらいの温度になると備前などは溶けてしまう=ぶくといいます)、炻器ならではだと思うのです。どのように焼成しているのでしょうか。




 中尾哲彰さんは当時から中国や米国の博物館で常設展示されていたというから、やはり広く認められていた新進の気鋭作家だったのでしょう。 で、最近の玉峰窯はどうかというと、少なくともカップ&ソーサーはサイトには挙げられていませんでした。 こいつはもしかすると備前の佐藤苔助さんのようにお得意さんの注文で焼いたものなのかもしれませんね。



 最近の玉峰窯のサイトを見てみると、実用器もないわけではないのですが、どちらかといえば 「造形美」 を意識したものが多いようです (茶道における花活けなど)。 少しばかり残念な気がします。 やはり実用が器の第一の目的だと思うのですが。

 いずれにせよ、見ていて飽きない器です。 残念なのは、経年変化でやや色が褪せてしまっているような気がすることでしょうか。

 ソーサーを見ていただければわかるように、ふちの所々がきゅっと上に曲げられています。 これを 「稜花(りょうか)」 と呼ぶそうです。

 ちなみにこの器は前述松陶の正月初荷で求めました。 初荷だからご祝儀で10%引き、しかも初の客だったのでさらに10%引き、だから正貨の81%で買いました。


購入日時:1997年正月?
購入場所:渋谷区松濤の 「松陶」 今はこの店はないようです。
作家    :中尾哲彰 (佐賀・有田)
銘     :「哲」のハンコ‥‥今まで無銘だと思っていましたが、今回初めて見つけました。 見えるかな?
価格  :16200円 (20000×0.9×0.9)




 1970年代に小椋桂というシンガーソングライターが作った曲で、「白い一日」とかいうのかな、その冒頭の歌詞です。

 ♪真っ白な陶磁器をながめては飽きもせず かといってふれもせず‥‥♪

という歌詞に謳われていたのですが、小椋桂は常人では見られないものを見ていたのでしょうか。陶磁器とは「陶器」と「磁器」を総称したものです。 普通の人は陶器を見ることや磁器を見ることはできますが「陶磁器」を見ることはできないはずです。

 いうまでもなく陶器はいわゆる土物、粘土を焼いたもの、磁器とはいわゆる石物、珪素を中心として石のようなものを言います。 前者を 「土もの」、後者を 「石もの」と呼ぶのが一般的です。

 だから彼が見ていたのは陶器か磁器かのいずれかであって、「陶磁器」ではありえません。

 ♪真っ白なペットをながめては飽きもせず‥‥♪

という歌詞だったら意味が分からないですよね。 ペットってなんや? イヌか? ネコか? あるいはフェレットやカワウソか? というレベルなのです。


 小椋佳は日本における最高学府を卒業しているのだから、もう少し言葉に対して繊細であってくれればよかったのにとつくづく思うのです。


庚敬白
2018.3.1


 人と物の出遭いをつくづくと感じたのがこの伊万里焼でした。 当時、クライアントのDECさんは荻窪のインテグラルタワーとかいうビルを一館借りして池袋サンシャイン60から移転していました。 ぼくはほぼ毎日そこに通うわけで、いきおい荻窪で昼食だの買い物だのということも日常になっていました。
 
 改札を出て左、北口に出るとすぐにルミネがあります。 たしか4階だったと思うのですが、本屋が入っていて、そこでなにがしかの書籍を買い、エレベーターに向かうその途中のことでした。

 棚に陶磁器がずらりと並ぶなかで、この二点がぼくをじっと見つめていたのです。 その「古伊万里」なる店にふらふらと入り込んでお店の人 (どうもご夫婦で経営していたらしい) に話を聞くと、窯元は畑萬、普段は陶人形を主に焼いているのだが、これは限定生産ものだというのです。 呉須染付の男性は「源氏」、赤い絵付の女性は「」。 ちょっとばかり安直な命名です。



 お値段を聞くと各10,000円。 うわあ、ついに禁断のお値段! 正直、ここでペア20,000円は痛いぞ。 ところが源氏も姫もぼくにしきりに秋波を送ってくるのです。 汝が苫屋でも苦しうない、具していってたもれ、とでも言いたげに。 ‥‥おじゃる丸かよwww

 とりあえず取り置きしてもらい、慌てて銀行に駆けつけて用意してきましたがな‥‥、お二人を苫屋にお連れするために。

 お二人を連れ帰って考えたのが、伊万里有田の違いってなんやん? ということでした。 古伊万里という言葉はあるが古有田という言葉はない。 しかも伊万里はまあ生産地ではなく有田焼の輸出港にすぎません。 

 で、畑萬さんにメールで問い合わせたところ、先代の社長からお返事をいただきました。 

 「江戸時代に伊万里から出荷された器には唐津のような陶器もあり、有田の民窯のものもあり、出荷港に基づいて定義づけるのは適切ではない。伊万里焼とは佐賀鍋島藩の官窯として将軍や諸大名、外国向けに作られたもの (いわゆる色鍋島ですな)、およびその窯元を指す」 ということです。 まあ大体そんなところなのでしょう。 完全に納得できたわけではないのですが、妥協しておきます。

 ソーサーも手を抜いたところはなくよい焼き物だと思います。










 限定生産に弱いのは古今東西、老若男女を問わずということですな。 


購入日時:1996年だろうと思います
購入場所:荻窪駅ルミネ4階の「古伊万里」。 ルミネにはこの店はいまではないのですが、徒歩10分圏内に同名の店があります。 ルミネ古伊万里の後身であるかはわかりません。
窯元    :畑萬 (伊万里焼)
銘     :畑萬の御須染付









価格   :各10,000円、計20,000円



2018..2.25


 これまでのぼくの器を見ていただいた方ならわかるように、実に色彩がないのです。 茶色か黒、プラス白くらいしかない。 若いころはそれで渋い男と思わせるのもありでしょうが (備前のところで書いたように) 、あるていど歳を重ねるとただの爺くささになってしまいます。


 京都の女性に逢いにいったその帰りに、たまたま21日の弘法さんの市の日だったので東寺に寄りました。 もう午後の3時を過ぎていてそろそろ業者さんも仕舞いに入るころ、陽も傾きかけていたころでした。

 いまも思うのですが、ああいう 「〇〇の市」 というのは基本的にひやかし半分にそぞろ歩くことを目的にするのがいいんでしょうな。 それでたまたま目にかなうものに出会えれば御の字ということではないでしょうか。 で、出会ったのがこれ。










 4000円の値札が付いていたのですが、それこそもうお仕舞いだからということで3000円にしてもらいました。 初めての有田、初めての色絵付ものです。 当時は有田のよしあしがわからなかったので (ではいまはわかっているのかと問われれば心もとないのですが)、色さえついていれば満足でした。

 帰ってからよく見ると絵付にもムラが多いし、金彩もおおざっぱだし、本当に3000円の価値があったのか疑問に思わざるをえませんでした。 カップの底には 「岩」 らしき銘が呉須染付で入っています。 ソーサーには 「手描き」 のシール。 ちょっとわざとらしい感じがしないではないのですよ。



 そこで 「有田 岩」 でググってみましたが、結局どこの窯元であるか判りませんでした。今回アップするにあたっても調べてみましたが、やはりたどり着きません。 もしかして有田ではないのかなと清水でもググってみましたが同じです。

 まあ、もし仮に業者のおじさんに騙されたにせよ、それは授業料だし、もの自体がひどいというわけではないので、納得はしています。

 ちなみにカップもソーサーも菊の花状になっています。これを 「輪花 (りんか)」 というそうで、ぼくの持っているなかで唯一のものです。



購入日時:1996年の4月21日かな?
購入場所:京都・東寺の弘法さんの市
窯元   :不明
銘     :「岩」の文字、呉須染付









価格   :3000円
2018.2.22


 伊勢神宮にはいままで二回参詣しています。 東京や神奈川からだと意外と遠くて、新幹線で名古屋に出て近鉄特急かJR東海の「快速みえ」に乗ることになります。 ぼくは近鉄特急しか乗ったことがないのですが、快速みえはディーゼルながら近年競争力を増していて近鉄特急も安穏とはしていられないようです。 次に行くことがあれば快速みえに乗ってみようと思います (鉄分濃厚な閑話)。


 それはどうでもいいことで、1996年ごろに二回目に訪れた三重は金曜日午後の取材で、その後はほぼほぼプライベートだったので気楽なものでした。 もちろんその頃のぼくの慣習として焼物はないかと探しました。


 で、はい、まさにそれにこたえるものがありました。




 奥田康博という作家の構える直売店でした。 ぼくの記憶ではいわゆる「お陰横丁」の五十鈴川沿いの参道だったと思います。 でもこの店は今はなくなってしまっているようで詳細は分かりません。 その店で気に入ったのがこれです。


 白い土は伊勢神宮の裏手にあたる朝熊山 (あさまやま) のものだそうで、これに青釉 (ごめんなさい、何釉といえばいいのかわからない。呉須ですかね?) をかけて、明らかに銅の還元焼成によるあかがね色の刷毛目を施しています (とすれば、青は呉須で理屈が合いますよね)。


 ぼく自身はこれが気に入ったのですが、店にあった作品の大半は辰砂であったと記憶しています。 だからこれも作家の手すさびというか、少なくとも主流ではなかったものと考えられます。

 
 今回、あらためて見てみるとソーサーの一部に釉薬が溶けて流れている部分がありますね。 これは決して全体の出来を損ねるものではなく、景色として味わい深いものだと思いますが。

 ちなみにこの器を求めたあとに車で朝熊山に登って眺めた伊勢湾はなかなかの佳景でした。 二見ヶ浦もこのとき初めて見たんではなかったかな。


 残念なことに奥田康博さんはこのあと数年でなくなっており、現在はご子息の奥田丈士さんが後を継いでいるようです。


購入日時:1996年だと思いますが定かではない
購入場所:三重県伊勢市の作家直営店
作家   :神楽の窯奥田康博
銘     :なし
価格   :3800円
 2018.2.18

 以前に紹介した大谷焼を 「森陶器」 さんのものではないかと書きました。 確認のために森陶器さんに尋ねてみると、「うちでは『大谷』という判を押すのでうちのものではないと思います。 『矢野陶苑さん』ではないでしょうか」というお返事をいただきました。

 そこで矢野陶苑さんに問い合わせてみたところ、こちらも「大谷」というハンコを押すそうで、違うのだそうです。 ??? いったいどこの窯元のものなのでしょう?

 この大谷焼は宙に浮いてしまいました。 まあでもいささかも価値を減ずるものではないのですが。


庚敬白
(↑久しぶりにこの言葉を使いました)