日本に出発したのが、春の初めの3月。

自国に戻ってきたのは、半年後の9月。

 

理由が理由だけに、ごく親しい友達にしか治療のために来日することは言ってなかった。だから、ちょっとみんなの前から消えていた。。。ナゾの半年、空白の期間という感じ。

(不妊治療の辛いことの一つは、治療のことを公言できないこと。しかも、先の予定が立てられず、約束やお仕事にも影響してしまい、人と疎遠になってしまったり。)

 

だから、その後しばらくは、

なるべく治療のことは考えず、自分の元の生活に戻ることに専念した。

それに、原因不明のお腹の痛みは、帰ってきてからも時々再発していた。

注意してみると、排卵の前後や、生理前に痛みが出る。

 

念のため大腸内視鏡を受けてみたけど、

結果は、やはり異常なし。

左の腸が少し長い(?説明がよくわからなかった。。汗)ので、もしかしたらそれが痛みの原因かもね〜と言われる。確かにお腹の痛みはいつも左だけど。。

 

あとは、地元の主治医や婦人科医、鍼の先生などにも痛みのことを相談してみると、みんな、局所麻酔での流産手術の話にびっくりして、顔をしかめていた。

すごい痛みと苦しみだったでしょうと、同情される。。。

 

鍼の先生は、もしかしたらお腹の痛みは、流産手術時に、身体が痛みと緊張で力が入って、その関係で何か痛みが残ったのでは?との意見。

大学病院では、レントゲンもCTも異常なし、尿検査も血液検査の炎症反応もなし。

でも、数値では見えない身体の不調ってあるのよねと、鍼の先生も同調してくれた。

 

そしてまだ、こちらの病院には凍結卵が残っている。

 

いろいろ辛い思いもしたけど、

気持ちをあらためて、体調を十分整えて、大事な卵ちゃんたちをお迎えしたいな。

鍼に通ったり、鍼の先生に勧められて、整体みたいなところに行ったり、ホメオパシーというものを飲んでみたり。家でも、ヨガやストレッチをしたり、スポーツジムに行って汗をかいてみたり、呼吸法みたいなことも独自にやってみたり。。。

まずは、お腹の痛みが完全に消えないと、移植も自信を持ってできない。

 

***

 

お腹の痛みも徐々になくなって、調子も随分良くなった翌2015年2月。

私はすでに39歳になっていた。

 

万全の体調で、2個の凍結卵を移植。

でも。。。妊娠を全くかすりもせず。

しかも2つのうち1つは、解凍時にダメになったそう。

初期胚だから、胚盤胞まで生き残れないような卵だったのかもしれない。

でも、凍結時にVitrification(ガラス化凍結保存法)しなかったから、卵の質が落ちちゃったのかな?それとも、元々の卵の状態?

私の身体も良くないのかな。。?

 

一度の採卵で、胚盤胞まで培養して陽性反応の出た、東京のクリニックの技術はやっぱりすごいんだろうな、と改めて思ったりした。

 

***


例のナゾのお腹の痛みも、疲れた時や排卵前後、生理前などに、まだちょっと出る。

とにかく、鍼やら運動やらを続けて体調をさらに整えて。。

4月。ついに、最後の9個目の凍結卵を移植した。

 

2週間後の結果を待っている時のこと。

実家の母と電話で話すと、東京の例のクリニックからお手紙が来てるという。

凍結精子の保存期限1年が迫っていて、延長するかどうかの確認の手紙。

そうだった、クリニックにはまだ、夫の凍結精子が3回分残っているんだ。

でも、もう1人で東京戻りたくないし、あんな辛い思いしたくないから、もう忘れてしまいたい考えていた。

 

すると、夫が意外なことを言う。

選択肢があるうちは全ての可能性は残しておきたい。考える材料として残しておきたい。それがたった1万円なら、なおさら残しておきたいと。そんなわけで、実家経由で、保存継続の手続きをした。

 

そして翌日の、血液検査。

最後の9個目の凍結卵も、着床せずに終わった。。。

2年前の採卵からの努力が無駄に終わった気分。

 

そんなタイミングで、今度は、

ずっと同じくらいの年月不妊治療をしている、現地で唯一の治療仲間が妊娠したと知った。

彼女には「あなたは、ほんと惜しいよねえ!2回も陽性反応出てるのに〜!私なんてまだ一度も陽性反応出てないのよ〜!」などと去年日本から戻った時に、慰められたりしていた。

彼女は、評判の良い、しかも胚盤胞まで培養してくれる私立のクリニックに転院したらしく、そこでたくさんの胚盤胞ができたそう。そして一度目の移植で妊娠。順調に妊娠生活を送っているみたいだった。

うれしいけど、複雑な気分にもなってしまう。。

 

 

胚盤胞までちゃんと育った卵を移植した方が、きっと妊娠する確率も高いだろうなあ。。彼女なりに、いろいろ調べて、最善の方法で頑張ったんだろうなあ。

 

一方で、私は生まれつき母子感染でB型肝炎のキャリア(「日本での治療を決意」の投稿に書いた)なため、こちらでは感染予防という理由で、指定された一箇所の公立病院でしか治療が許されないため、転院もできないし。。。

 

***

 

どうしよう。

ここでまた採卵から治療するとしたら、年齢と回数的に多分あと1回は挑戦できるはず。

でも、技術に不信感を持ってしまった、同じ病院でまたホルモン注射での治療だ。

それに、ただでさえ卵巣がどんどん歳とっているのに、ホルモン注射でまた卵巣に負担をかけ、さらに歳とらせてしまうのではないかしら。。?

 

だったらその前に、

卵巣がホルモン注射でダメージを受けてしまう前の、いまの身体の状態で、もう一度だけ挑戦してみようか。最後の懸けをしようか。

東京に残っている、3回分の凍結精子を使って。。。

そうすれば、夫がまたわざわざそのためだけに、来日する必要はないのだし。


でも、去年の半年間の、ひとり東京滞在は辛かったな。。

精神的にまた、ひとりで立ち向かえるかの自信はないけど。

3回だけ採卵やってみて、それでダメなら本当に諦めもつくか。。

 

夫と2人で悩みに悩んで、

2015年7月、再び、ひとりで東京へ出発した。