マタイによる福音書10章1節から7節には、イエスが十二人の弟子を召し出し、特別な使命を与える場面が描かれています。この箇所は、弟子たちが正式に使命を受け取り、キリストの業を継続するための力を与えられる重要な瞬間です。

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒す権威を与えます。この権威は単なる奇跡を行う力ではなく、より深い霊的な使命を意味しています。それは、天の御国を地上にもたらすための使命です。弟子たちは、イエス自身の延長として働き、そのメッセージと慈愛を人々に伝える使命を負っています。

十二使徒の名前が挙げられることは重要です。それぞれの名前は独自の背景を持つ個々の存在を表しており、それでも彼らは共通の目的のもとに統一されています。この多様性の中の一致は、キリストの召しが個人の違いを超えて、共通の使命を持つ共同体をもたらす力強い証です。

イエスは使徒たちに、まず「イスラエルの家の失われた羊」のところへ行くように命じます。この指示は、神の選ばれた民にまず手を差し伸べる優先順位を示しており、預言と約束の成就を意味しています。しかし、それはやがて全ての国々にまで広がる使命の前触れでもあります。

弟子たちは「天の御国が近づいた」と宣べ伝えるように命じられます。このメッセージこそが彼らの使命の中心です。それは悔い改め、更新、そして神の変革的な支配への準備を呼びかけるものです。天の御国が近づいているというメッセージは、希望と緊急性を帯びており、イエスがもたらす新しい現実を受け入れるよう人々を招いています。

この箇所を振り返ると、私たち自身の生活にも多くの教訓を見出すことができます。まず、イエスは私たち一人一人を、私たちの不完全さや背景にも関わらず、弟子として召し出します。イエスは私たちにその霊を与え、その業を続けるための力を与えてくださいます。この使命は私たちの能力ではなく、イエスの権威が私たちを通して働くことにかかっています。

次に、私たちの使命の場はまず私たちの身近なところから始まります。弟子たちが最初に自分たちの民に遣わされたように、私たちも家族、コミュニティ、職場でキリストの愛と真理を証しするように召されています。

最後に、私たちが運ぶメッセージは希望と変革のメッセージです。天の御国が近づいており、私たちはこの良い知らせを運ぶ者として招かれています。私たちの生活を通して、神の支配の現実を反映するように生きることが求められています。

マタイ10章1節から7節を黙想しながら、信仰と謙遜をもって私たちの召しを受け入れ、イエスの力と権威に信頼して使命を果たしていきましょう。天の御国の証し人として、周囲の世界に光と希望をもたらす者となれますように。