《桂由美先生 追悼ショー》に寄せて。
長文です。
ちょうど あと数日で終戦記念日。
皆様とはちょっと違う観点からの私の思いを書いてみました。
私は色んな思いのなか、追悼ショーに参列させて頂きました。
4月末の訃報を聞いてから、
子供の頃から神様のような存在だった方が、
本当に神様になってしまったんだなーという
漠然とした感情でした。
お歳がお歳でしたから、いつ何があっても不思議ではなく、
覚悟はしておりました。
追悼ショーの華やかなドレス達を見ながら、
どこかに寂しい気持ちが渦巻いてました。
私はこういう場であれば、いつもなら色んな方にご挨拶にしに行ったり、
会場内を隈なく写真や動画を撮ったりと、
慌ただしく過ごすのですが。。
なんだか、そんな気分にもなれず。。
「あー、もう桂由美先生の名の下に行われるファッションショーは最後なのだな」っと、
しみじみと静かに拝見しておりました。
私は桂由美先生とは母校が一緒。
桂先生は母校の第一期生で、
同窓会の初回から今年まで65年間の長きに渡り、
同窓会会長を続けてくださっておりました。
私にはいつも
「前から会長を辞めたいといってるのに、辞めさせてくれないの。
副会長だった内藤さんは
「私が副会長として桂さんをサポートするから、もう少し会長を続けてください。」
と言っていたのに、先に副会長やめちゃって!」
と嘆いていました。
(内藤さんは、あの芸能人DAIGOさんのお母様であり、元総理大臣の竹下登氏の娘さんです。)
それは、桂由美先生の跡を会長務められる人材など、
そうそういないですよね(汗)
桂先生は、中学高校の同窓会だけでなく、
共立の大学同窓会、
さらには共立学園全体の会長も兼務されていました。
しかも、そういう会長の役についていても、
名義だけで総会などにはほとんどお顔出さない方が多いと思いますが、
桂先生は、同窓会の月例会などにも必ずご出席されていました!
兼務されてる団体の総会に出席するだけでも大変な数だったかと、頭が下がります。
私が共立中学に入学した時から会長だったので、
世界的ドレスデザイナーの桂由美さんが先輩にいるんだ!
凄いなーっと憧れの存在でした。
中学高校 6年間、
桂由美先生を雲の上の存在と崇めていたのが。。
2019年の同窓会パーティで、ファッションショーとフラメンコの舞台をコラボさせて頂けることに!
(実は私からコラボ出来ないかと、恐る恐る桂先生に持ちかけて実現に至りました。
その時に先生に声かけていなかったら、今の私はないと思います。
その時の自分を褒めてあげたい!)
その同窓会パーティで北斎ドレスを拝見して、
2022年に新作能劇「北斎」を思いつき、実現させ。
その公演が切っ掛けで、
2023年のaround beauty club 東京支部長の任命に繋がり。
長くお仕事でご一緒したとかではございませんが、
先生の晩年の2年間、濃密な刻をご一緒させて頂きました。
ただ、単に仲良くさせて頂いていたということでなく、
神様のような存在の先生に、私はおいそれと近づくことが出来ず、
いつもある程度の距離を保って、おそばに付かず離れずに居ました。
5分待ち時間があると、仕事を始めてしまう桂先生。
だから周りは先生を待たせないように必死でした(笑)
そして先生は、いつも未来のビジョンを語ってました!
ある時は、地方の記念館オープンに行かれてて、
私が
「まあ、お忙しいのにわざわざ地方に行かれていたんですね?」
とお聞きしたら、
「実は桂由美サロンや記念館も作れないかと思って。」
と。
また、アニバーサリー婚を東京でも流行らせたいから、
私に芸能人カップルでやれないかしら?とご提案頂いたり。
来年は桂由美サロンの60周年記念のパーティを盛大にやる予定で、私も演出家の先生から協力のお話を頂いてたり。
90歳過ぎても、いつも数年先のビジョンを考え、
実現させようと語ってました!!
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【愛と美と夢】
この3つを失わないように生きてきました。
『愛』には友情も、家族の愛情も、愛する人の愛情もある。
そういうのを1つでも持っていると人間は強くなれる。
『美』は花一輪があるだけでもいい。
美しいものを持っていると心は豊かになる。
『夢』は持っていてほしい。
ハッピーランドを作るのが私の夢だった。
苦しいことや嫌なことを忘れられる世界を作りたかった。
愛と美と夢。
この3つを持っていたら苦しい世の中でも何とか生きていけると思う。
いつも花嫁さんの幸せを一番に考えています」
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桂先生が
【愛と美と夢】
をとても大切にしていたのは、
きっと戦争を体験しているからだと
私は思いました。
桂先生は、15歳の時に東京大空襲にあったそうです。
戦争体験をされた方々は思い出したくないので、
実はあまり話さない方が多いそうです。
美しく幸せなブライダルをお仕事にしている桂先生ですから、
戦争の悲惨な話は相応しくないですし、
辛い経験を思い出したくないという思いもあったのかと。
でも、戦争体験した方がどんどんいなくなっているので、
近年は体験を話しておかないと、いうお気持ちにもなられたのかと。
15歳という多感な少女時代。
桂先生は特攻隊員に憧れる、かなりの軍国少女だったそうです。
空襲の日の翌日、焼けた中を学校の様子とクラスメイトの安否を知りたくて、
一人で自宅から学校に向かったそうです。
少女の目に入ってきたのは、
燃え落ちた東京。
焼けた匂い。
凄まじい地獄絵図。。。
軍国主義で育った桂先生は、
日本が負けるなど 微塵も思っていなかったそうです。
そして、敗戦国となった戦後の悲しく汚い世界から目を背けたいという気持ちが強く、
夢があり、美しく、愛のある世界を見出していったのでしょう。
桂先生の凄さはそこにあると私は思います。
私たちは先生の創り出した美しい世界だけを
60年間 魅せて頂きました!
でも悲惨な経験の中から、
この美しい世界が創られたんだということを。。
戦争を知らない私たちは心に留めておかないといけない。
桂先生の追悼に際し、
私はこんなことを思いました。
桂先生はブライダルデザイナーとしてファッションに貢献されただけでなく、
戦争経験者であり、
日本の女性の自立、
さらに日本からの世界進出、
そして94歳という長寿!
この先、誰も成し得ない偉業をたくさん実現されました。
やはり
私にとっては、
生きてる時も神様
そして、今は本当の神様に。。
「ご冥福を」 とか
「安らかにお眠りください」 とか
言ったら、
「いや、休んでなんかいられない、私は未来に向けて仕事がしたいの!」
といわれそうなので、
先生には感謝の言葉だけをお送りします。
本当に 本当に
有難うございました。
敬愛する 偉大なる 桂由美先生へ
貴女を尊敬する後輩の一人より
愛を込めて
上籔洋子 拝
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