2020年10月3日(土)6時00分
道の駅庄内みかわの朝、旅人達は忙しそうでした。

僕達も夜明けと同時に動き出します。
妻はビッケの散歩と朝食の用意、僕は愛車の点検と、この日の準備です。

 

愛車の近くで年配の体格の良い男性に声をかけられました。

ラガーマンの体格です。彼は僕の愛車のナンバーを見て、
「北海道の人に聞いても答えられないよね」と彼は言います。
いろいろ話してみると、彼は静岡からGoToを利用して奥さんと出羽三山の参拝と

豪華なホテル巡りを、しているとのこと。

 

普段はトレーラーを車で引っ張って旅行しているそうですが、今回はホテルに泊まるのに

トレイラーは邪魔なので自宅に置いて来たそうです。

 

彼の悩みは出羽三山神社に行くルートがわからず困っているようです。
僕が昨日の事を話して、今日、再チャレンジする予定と話すと、
彼の顔が笑顔になります。彼は車で直接神社まで行く予定の様ですが
僕達が行くなら、ご利益のある石段を上りたいと話します。
彼が乗って来た車は大きいミニバン、奥さんは車内で片づけのようです。
程なく彼らは道の駅庄内みかわを出て行きます。

 

遅れて僕達も道の駅庄内みかわを出発です。

妻はビデオで見たアシガールの世界にいるようで、羽黒山の奥に黒羽城があるはずと言います。(^_^;)

若君に会いに登城するとはりきっています。羽黒山と黒羽城、確かに似てますね。(^-^)

 

30分くらいで羽黒山参詣道の入り口にある随神門(ずいしんもん)駐車場に到着です。

静岡の彼らが僕らを待っていたようです。
早速、運動靴に履き替えて飲み物をリックに入れて出発です。天気も上々です。
地元ナンバーの男性から情報を収集して僕と妻とビッケ、と静岡夫婦で出羽三山神社を目指しました。

 

随神門を抜けて「継子坂」スタートです。先頭は妻とビッケ、続いて静岡の男性、
少し遅れて僕と彼の奥さんです。寄り道はしないで目的地にひたすら進みました。
一の坂中腹で彼は石段勾配がキツ過ぎると、ぼやきます。
彼の地元、静岡にある久能山下側にある石段。石鳥居から数えて1159段、軽く駆け上がれるが、

羽黒山の石段と比べると子供だましと言います。

 

標高414m2446段の羽黒山。標高270m1159段の久能山。
高さだけでもかなりのハンディです。
静岡の彼は、僕の妻がビッケを、補助具を使って、お腹に抱えてスイスイと仙人のように上る姿を見せられて、

闘争心が湧いているようです。しかし、闘争心だけでは妻には勝てません・・・・実力が違いすぎます。
妻は瞬く間に僕達を引き離して上段の遥か彼方に消えていきました。

 

僕が彼の奥さんに聞きます。「旦那さんはスポーッジムで体を鍛えているのですか?」
彼女は首を横に振り「何もしてませんよ」と笑いながらはなします。
二の坂で彼らは、かなり疲れ切った様子です。ゴールはまだまだ先だと教えます。

 

昨日上った後なのに良く体力が続くものだと我ながら感心します。温泉のご利益ですね。
今年天国に旅立った愛犬知恵の冥福と僕の母の冥福を願いながら僕は石段を登りました。
三の坂を登りきると熊注意の看板がありました。ゴールが見えない地点ですが、山頂の近くです。

 

2020年10月3日(土)7時52分
ゴールインです。何とか登りきれました。三回目で成功です。(^_^;)
妻とビッケが立ち止まっています。厳島神社です。

 

 

 

写真、ピンボケで恐縮ですが、昇り龍と降り龍の彫刻が凄すぎます。

 

妻の参拝が終わると僕も参拝します。

 

厳島神社の隣に蜂子神社です。

 

早速、参拝しました。

 

出羽三山の開祖である蜂子皇子(はちこのおうじ)の御尊像が、お堂に収められているのでしようか。

 

出羽三山の開祖 蜂子皇子の神社、出羽三山の開山は千四百年余前の推古元年(593年)といわれています。第32代崇峻(すしゅん)天皇の御子である蜂子皇子が、父を暗殺した曽我氏から逃げれるように、聖徳太子の計らいで、宮中を逃れ、越路(北陸道)を下り、能登半島から船で海上を渡り、佐渡を経て由良(現鶴岡市)の浦に辿りついたところ、三本足の烏(ヤタガラスか?)に導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を感得し、出羽三山を開いたと言われています。
いよいよ出羽三山神社三神郷祭殿に向かいます。

 

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