おはようございます、レオンです。
今、巷で話題になっているのが、子供たちの『全国学力テスト』ですよね。
自民党は、『続けるべきだ』といっていますし、民主党は、『縮小』の方向性のようです。
僕の個人的な意見ですが、子供たちに競争心を持ってもらうことは、ある程度必要なことだとは、思いますが、国が煽らなくても、生きていく中で、『自然と身についていくもの』ではないのかな~と思います。

それは、『生物の本能』のようなものだと思うから。

国がもしやるのなら、『基礎学力』うんぬんよりも、子供たちの『生きていく力』を延ばすために、必要なものを実施することが、有益だと思うからです。

『基礎学力』って何のでしょうか?
つまり、子供たちが、将来、社会の中で生きていく上で、生活をしていくために前提となる知識。
小学校で学んだことは、中学校の学習のベースになり、
中学校で学んだことは、高校の学習のベースに。
そして、高校から大学。
大学からビジネスの世界へ。

ここで、注意しなければならならないことは、
主として3段階に分かれると思います。

中学校までの義務教育時においては、本当に基礎の基礎を学ぶことです。
つまり、幅広く(全分野の内容を薄く広く)学ぶことです。

高校から、少しずつジャンルの分化が始まります。
個人の学びたいもの、得手不得手によって、『差別化』が始まるわけです。
ここでいう『差別化』とは、環境によって『選択』が始まるという意味です。
次の段階においては、大学への進学とビジネスへの道に分かれますよね。

より高度な知識を身につけて、学問の発展を目指すか、それとも、新しい産業を生み出す原動力になるかです。
ビジネスの道に進むのであれば、より実践的な技術や経験を積むことが出来るわけです。
産業によっては、実戦的なスキルの方が、役に立つ場合もありますよね。
一度、産業界に飛び込んだ後、経験を積み、大学、大学院を目指し、研究者になって、産業界自体をリードしていくという選択肢もあります。

欧米では、ビジネス・スクールやロースクールは、ハイ・スクール卒業後にすぐに入学するケースよりも、
むしろ、働きながら、より上位の学術機関で学ぶケースが多いように感じるのですが。
個人的な、感覚ですが。

学力テストは、すでに3回実施されました。
メリットとして、挙げられていることは、次の7点です。

・児童・生徒の学力の状況が客観的に把握できる(抽出調査よりも全員調査の方が当然把握しやすい)。
・児童・生徒の学力と学習・生活環境の関連が分析できる。
・成績が上位の自治体・学校の教育方法を他の自治体・学校が参考にしやすくなる。
・児童・生徒にとっても学習内容の振り返りができる。
・学校評価の判断基準のひとつになる。
・学校選択制が広まっており、保護者・児童が学校を選択する判断基準のひとつになる。
・子どもたちに教える学習内容の傾向が把握できる。

どれも、別に国としてやらなくても、できるのでは?と思うような内容ばかりです。
確かに受験する側でも、競争の好きな子で、常に上位に位置することが出来るのであれば、
楽しくて仕方ないし、全国で評価されるので、将来のための客観的な保証になるわけです。
ますます、伸びるでしょう。親御さんもますます、教育熱が加速していくでしょうね。

では、中位、下位に位置していたらどうでしょうか?
中位に位置していて、少しがんばれば、上位に食い込める位置にいるならば、個人の努力と周りのサポートで何とかなるでしょう。それに、この位置にいる家庭の方が、むしろ教育熱は、一段高いかもしれません。

では、下位にいる子たちは、どうなるでしょうか?
国に「下位」という烙印(シンボル)を押されることになります。
国によって、評価が確定してしまうわけです。
それは、とても恐ろしいことですよね。

どんなにセーフティネットを張り巡らしても、一度『ダメなやつ』という先入観が廻りに定着してしまうと、それを払しょくするには、実力以上の努力を要求されることになるからです。
ヒトの評価って、悲しいかな、ファースト・インプレッションでほとんど変わらないですから。

『目覚ましい功績』を上げない限りは。
だから、ほとんどの方が、「壁」の前で茫然とすることになります。
どうしようもない『無力感』の前で。




しかし、

その必要なものとは、何か?

それは、心の成長を量る指針『EQ』とかコミュニュケーション能力を量る指針(何が該当するのかな~?)
歴史教育の成果(特に近現代史から過去にさかのぼっていくもの)、納税や保険、年金の基礎知識、お金の知識(経済観念)などですよね。ビジネスマナーを教え、量るのも良いかもしれません。

倫理や哲学等は、コミュニティで学ぶのが、一番実情にあってるのではないでしょうかね。

ホント、3回も実施したにもかかわらず、出てきた分析の結果がほとんど変化ないのならば、今後も実施しても、コスト・ベネフィット(費用対効果)のバランスに欠けるといえるのではないでしょうか。

国として、学習指針を明確にすることは、一定のメリットもありますが、単一の方向性だけを打ち出して、学力テストを実施することは、当然デメリットもあるわけです。

例えば、こんな例はいかがでしょうか?
ある企業の人事部で、「全員ユーモアを利用しましょう」って決めて、実行に移したとします。
確かに表面上は、全員『ユーモアを利用しなければならない』ことになります。
したがって、『ユーモアを利用するように努力をすることになっていく』でしょう。
もちろん、それが苦手な方も当然いらっしゃるでしょう。
少しでも、ユーモアのセンスを身につけようと、そうしたセンスのないマネージャーまで、無理して冗談を言うようになります。

奨励されることになるわけです。
熱心すぎる人事部は、どういう仕事をすべきかということよりも、どのように仕事をすべきかということで、それぞれの職務を規定しようとする。
成果を見るのではなくスタイルに規定を設け、従業員にその規定通り仕事をすることを強いるのです。

人間は、万能ではありません。
神様には決してなれません。
すべての分野で卓越した能力を身につけることは、非常に難しいからです。
人間には、「強み」と「弱み」が必ずと言っていいほど、あります。

べネディクト修道会の副院長の言葉として、次のような、言葉があります。
「私は死んで神様に『汝は私が授けた人生を全うしたか』と問われた時、心の底から『はい』と答えられる人生を歩みたいと思います。」

つまり、「あなたはあなた自身の人生をいきましたか?」と問われているわけです。
とっても、怖いですよね。
生まれたときから自分には運命づけられた人生があり、それ以外は間違った偽りの人生に思えてきてしまいます。
私たちはいつでも「これでいいのだろうか?」と疑問を持ちながら生きています。
この手の質問は、私たちを委縮させるほど恐ろしいです。

「自分がいったい何者なのかがはっきりしないと、人はそれまで得た知識や積み上げた実績から自分自身を規定してしまい、この自己規定が進路を変える意欲も新たな方法で物事に対処する意欲も減退させてしまう」からです。

「新たな道を歩もうとするときに、蓄積された貴重な専門知識や技術、実績までもすべて手放すことになるから」。
自分のアイデンティティさえも。
自分が何者かはっきりしないと、他の人は何者なのかということにも関心がなくなり、学歴や性別、人種など表面的なことだけで判断するようになってしまいます。
一般論という『避難所』に逃げ込むようになってしまうのです。

ここからが要点です。

新たな経験であれ、新たな人々であれ、自分自身がわからないと、「自分以外のもの」に対する興味が限定されることになっていきます。
ですが、この不安は取り除いていける不安です。
自分の『資質』に心を集中させれば、本当の自分が分かるようになります。
そうすれば、手探りの状態で人生を築いているわけではないことが明らかになってきます。

成功も実績も偶然手に入ったわけではありません。どんな些細な意思決定でも自分の資質の影響を受けているということが分かると、成功も実績もその資質が生み出したものということが、容易に理解できるようになります。

自分のことがわかれば自信が湧いてきますよね。
どんな仕事に就こうとも、どんな道を歩もうと、自らの資質に磨きをかけ、それを最強の武器として活用していけば、先ほどの質問ももはや怖くないですよね。

全ての欠点をなくそうとするよりも、欠点は欠点として認めたうえで、個人の資質や能力を高めることに力を注ぎ、『技』を磨いていった方が、むしろポジテイブですし、コストも比較的要しません。

企業の例でいえば、全産業を営む総合的な会社と専門分野に特化している会社とでは、どちらが業績が高いでしょうか?

むしろ「私には、こんな欠点があります」とカミングアウトしてしまった方が、周りは意外と好感をもちますし、自分の弱点を明らかにできる「誠実な人」という印象を持つかもしれません。

それに、欠点を補いあっていく『分業の利益」や『コミュニケーション能力』をアップさせていく機会も増えるし、助け合った方がうまくいくということが実感できることになりますよね。



今日長すぎ~(笑)。失礼しました~。
また次回~。



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ちょっとだけ、補足。
昨日テレビで、夏休みの課題としての『読書感想文』にスポット・ライトを当てていました。
大人の用意した教科書よりブ厚~い課題図書を読ませて、強制的に、感想を書かせて、大人の用意したマニュアル通りの指針に沿って、固定的な判断をするよりも、子供たちが、普段どのようなことに興味を持っているのか知るという意味で、「好きな本を読んで、その書評を書いて、みんなに勧めてください」という方向に持っていく方が、むしろポジティブ何じゃないのかな~。と思いました。どれだけの分量になってもよい。好きなだけ。例え漫画であっても。
採点はせず、担任教師に、文法的なチェックとその子の個性の良い点だけを指摘して、延ばしていくようにする方が~って思います。