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記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

NHKの新会長のコメントをニュースで見ましたが、本当にどこまで「あたりまえのことをあたりまえにやれるのか」はわかりません。と思っています。

「ドキュメント」「ノンフィクション」について、「ジャーナリズム」というのがあるのは表面的かもしれないけど「そういう言葉がある」とは思うけど、

では「テレビ局」がやってる番組は 全て「演出」と思っていますので 「演出」とは? 作り物ということだと思います。自分の判断はそういうことなので。そう考えてるのは あくまで“自分は”です。


信じたくても信じられないモノと思っています。「視聴率」というのが目的のなかに、「本当に苦しんでたりキツい想いをしている存在」を都合よく「ネタ」にしてるだけではありませんか?「なにもない」としか言いようがありません。コメントする立場でもなんでもない。


「創作」としての番組は“見よう?みかた?”もありますし、色んな刺激をもらうこともありますし楽しんでいるところもありますので。


「あの手」の番組が放送されると「コチラ」にしてみれば「「訳のわからない連絡問い合わせ」」が来ますが、全く関係ありません。「またやってるんだ」位です。


「型」にはめないでもらえますか?ろくに個々の現実も知らないくせに。


「型」というのは、「記憶がどうこう・・・」って「ひとくくりにされても」、症状は「ひとりひとり」違いますので。放送されてる内容については「話すことはありません」


テレビで紹介される「症状」が「記憶がどうこう」というのは「こういうこと」だと思われるのは ハッキリ迷惑です。自分とは違うので。


それは「しょうがい」に限らず「被害者」「被災者」にしてもなんにしても。


例えて言えば、先日アップした記事で触れましたが、NHKのドラマ「心の傷を癒すということ」の2回目のなかで、「階段の踊り場で小さなくつを抱きしめて」「どんな想いで突っ伏していたか?」「それを平気で土足で踏みにじって」「もうちょっとくつを写させて」ってああいうことをするのが「ほとんど全て」でしょう?「当事者の心情」なんてどうでもよいわけです。何か言われたら「口では色々取り繕う」だけで。

0ではないけど100でもない。そんな考え方があるから、あの世界にも「ちゃんとした」存在は0ではないと思いたい  としか思っていないので。


興味本位で連絡して来るな