⑦)))))))ICUは「処置の仕方練習会場」やりたい放題劇場プラス猫動画 | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

カテーテルというのがある。様々な事情、それは病状だったり治療の関係であったり。

※2016年12月16日「手術当日」の記事を参照※この記事では当然これから書くことは触れていない。

 「開胸手術」の あの日。色々準備もあった中で、「術後」しばらくは自分で「お手洗い」を「出来ない」ので(と言っても二日目に大変だったのだ!😱)、そのカバーとして、「膀胱」に「管」を繋いで「採尿?排尿」をスムーズに行う処置。それともう1つは、「点滴」。色々な「想定」やそれに対しての対処が出きるよう、何種類もの点滴が可能な機能?器械のついた点滴管。「左手の「甲」の部分に」「本来であれば「とてもとてもとても重要な重要な重要な重要な重要な重要な重要な処置」」としてのもの。 

「点滴の装着」というか 処置については、「これ以上無いくらい丁寧な痛みもなにもないモノ」だったのを ICUで奴等に「アンナコトニ」サレタノダ。


くどい書き方には意味があり、似たような体験(点滴をつなぐ処置)をなさった方はその意味がわかると思うし、知らない人(そういう意味では手術なんて知らなくて良いのです。何事もなく生涯を過ごせることが一番なんです)用に「何かが伝わるように」。その点滴用の処置が「退院」前の時期(人それぞれ)まで「少なくとも自分には」とても重要な処置として必要だったから。

手順は確か「麻酔」をしての「カテーテル処置」だったと思う。自分の場合は処置は「男性かんごしさん」。尿道の入り口をつままれて?(女の人は  わかりません)  ただ、男の人も女の人も大変。大抵は「鈍い痛みのような違和感」があり、中には気にならずに過ごせる場合もあるようだから皆ではないらしいけど、「自分の場合」は「違和感」と、「体調?」なのか?時には「鈍い痛みのような違和感」に「落ち着かなくて」それは「イライラ」したり いろんな「気持ちの状況」になったりして、「その人にしかわからない」状態になり。

もう「小さく」なって、「はー、こんなに小さくなるんだ・・」とは術後もう「カテーテル外される直前」にやっと見たと思う。「見て痛い」感覚は 体験者しかわからないだろうなあ。知る必要はありません。

手術前には、「手術の手引き」というか、「こういう風に準備しましょう」みたいなことを書いた用紙が有るわけで、そこには「カテーテル」をつないだ状態で「下着(パンツ)」を履くようにとあったのだけど、当時持っていたのは「ブリーフ型」のボクサーパンツというやつで、フィットするやつで、普段は何も思わないけど、「カテーテル」の繋がった状態で履くと、締め付けられて「痛い痛い」。それで「痛いから履けない、“オムツ”を術後につけられるようしてもらってもよいだろうか?」の旨のやり取りをして、看護師さんの「対処する旨の了承」をもらったのだけど、「当初は下着を指示通り履く予定で代替えの「オムツ」(この書き方に“?”と思うナースに関わった人もいるかもしれないが、この時はこうだったのでその通り書いてます。)この辺も「だったらもっとキチンと術前の質疑をしっかりやってれば良いのに!バカ!」って(日常の対応対処についてのね、手術内容の執刀医との話ではなくて)。「あいまいだった」「オムツ」は一応準備していたのだが「下着」とあったのと、ブリーフ型のボクサーパンツを履いたときの痛みから「あの時は」指示と違うからと着けたくなかった。余計な不安要素は取り除きたくて、「カテーテル」挿入状態の「痛み違和感」が
何も身につけたくなかった。それも「看護師」さんには話して相応の「やり取りを」したはずだった。それがICUで・・・・

(オムツについては病院ごと?なのか?やり方があるかもしれないし、この記事では触れないでおく。嫌でも後で出てくるので)

患者の「命懸け」なんてこの時ICUに関わったほとんどの連中は「なんとも思っていなかった」何度か出したが、後に「病院相手」に「訳のわからないのが」1人でやりあうのである。本当にこれが「医療の現場」とは思えなかった。※くれぐれも全部がそうではないことは書いておく※

このことについても「モメルというかなんというか 本当に腹立つ👹←(ここにはdocomo版の“鬼”の“絵文字”があります、機種や会社によっては表示されてないかもしれません)」のだ。本当に何から何まであのICUでの連中のやったことは「言葉にならない」怒髪天。


~くそナース1号が、「休憩から戻ってきた“自分にとって唯一普通に対応してくれたナース”」が戻ってからはもう会わなかったはず。そのあと1回寝落ちしたのだと思うが、本当にその時は、覚えてるのは3日くらい居たのだろうか?という位 「長い時間」だった。
 「普通に寝起きするというのがどれだけ“ありがたいことなのか”」って強烈に感じながら。 

ずっと「痰の吸引」や「吸い飲み」での水分補給とか、チェック等がなされていたのだろうがあまり細かくは「あいまい」なので確かな事だけここでは書いておく。「明るさ」を感じて本当に明るくなってきてから「朝なの?」とぼんやり思って「視力」が悪いなりにわかった。その時点ではそこでどれだけの「時間」を過ごしたのか?全くわからず、本当に寝落ち?して目が覚めた回数で「3日くらい?」と思っていた。

普通に明るくなってくる頃には「近場で談笑」する声も聞こえなくなり、「何時」だったのかは全くわからずだけど、「一晩ついてくれていた1人だけまともな“ナース”さん」が 「そろそろ交代が来ますね」とかなんとか声を掛けてくれた。この時点で「まずいまずい」って、不安で一杯になった。 

しばらくそのあとで「奴等」はやって来た。「くそナース3号と5号」だ。1号に続いて二人目三人目。

(第2号と第4号は、個人的な思い入れにより欠番とする)

一生忘れられんで!「程があるワイ!殺人ナース!😱👹」

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猫動画

https://youtu.be/aCm6HfZ6_C8


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