人生とはプロセスである。
そう考えて歩くと、すこし足取りが軽やかになるかもしれない。
というのも、
結果を求めて、そこを最終到着点にして何かを行うとする。
それは果てしない努力になる、苦行になる。
今は苦しくてもいつか、その日のためにと頑張るという事、
例えば4年に1度のオリンピックのように。
そのためなら、自分の気持ちを殺してでも戦い続け、二度と立ちあ上がれなくなるような怪我をする程度のトレーニングでさえ遂行する、
もはや軍神である。
日本国に忠誠を誓った肉体エリート戦士である。
修練は毎日の中にある。
たかが1日、されど1日の繰り返しが人生なのである。
1日が延々と続いていく、それが人生である。
明日は明日になれば今日になる、
昨日は既に過ぎ去っているし、永遠に明日は来ない。
きょうを良く生きることが重要になる、
人生はプロセスであるので、どこか終着点というものはない。
生まれた時ですら、プロセスの中にいて、
肉体を脱ぐ時もプロセスの中にいる。
そうすると、何を達成したかよりも、どう感じ、どう成長していったかが関心ごとになってこないだろうか。
いくつゴールラインをトップで走り抜けたとしても、ゴールラインは無限にある。
なぜならそもそもゴール自体が他人が、そして自分が設定した超人工的なものであるから。
解説者が言います。
・どんな走りをしたか
・いい走りでしたよ。
これらはランナーの躍動感をしっかりと表している。
順位じゃないという事。
人生は身長体重、テストの成績じゃあ決まらないという事。
人生はプロセスだというとらえ方は一つの方法論である。
もし、どこか志望校に合格すると決めて、そこに向けて心おしこめてがんばったら、そこにもしかしたら受かるかもしれない。
でもそこが天井になる。
自分がそこを限界に設定してプランを立てているから。
そして苦しいのは、合格という目的のために五科目を勉強して、なんとかつじつまをあわせているところ。
好奇心から挑むのではなく、義務感で立ち向かっているところ。
それでは伸びない。
苦しんで得たものは、自分をさらに苦しみの延長線上へと向かわせていく。
もし数学を、英語を、国語を、理科社会を、心から楽しみ、愛し一体化できたなら、
自分の能力は果てしなく伸びていくだろう。