発達に凸凹のあるお子さんも
  不登校のお子さんも
遊んで学ぼう  
  東京・親勉インストラクターのよこやま みほです
 
 
今日もご訪問頂きましてありがとうございます。
 
 
前回のブログでもお話しましたが
 
私はたくさんの思い込みで生きていたとある気づきが
あれからも自分の感情にむかいあってきた
 
 
するとある言葉が
封印を解かれたかのごとく
流れ出てきた
 
 
「私はもう、幸せになれない」
 
 
中3の長男が発達障がいだと診断されたのは4歳の時
以来、長男の障がいを治そうと
必死に療育に、教育に取り組んできた
それは、長男のためだと信じていたけど
障がいの息子を持った事実が受け止められなくて
ありのままの息子を受け入れてあげられていなかっただけ
みんなと同じ事ができる様に
そればかりを願っていた
 
 
独身時代からの親友にも
息子の障がいのことが言えなかった
言ってしまうと
自分が惨めになるのがわかっていたから
私は悲劇のヒロイン?だった、いや悲劇のおばさんだった
 
 
普通の子育てをしている
ママ友が羨ましかった
ママ友の子育ての悩みが羨ましかった
だって、私の悩みは
もっと、もっと深く切ないものだったから
 
 
この子は一体どうなるんだろう?
この子は、将来、働けるのだろうか?
私たちが死んだあと、生きていけるのだろうか?
私は一日でも長生きをしなければいけない
ずっとそう思っていた
 
 
なんで私だけがこんな思いをしなければならないの?
なんで私のところに障がいの子が授かったの?
困難は、乗り越えられる人のところにやってくるのだよ
以前、心理士さんに励まされたことがある
 
そんな、試練なんて私は欲しくない
真剣に思っていた
 
ずっと苦しくって苦しくって、もがいていた
先のみえない暗いトンネルの中に置き去りにされてしまったかのようだ
 
 
療育病院に行くと
お母さんがつきっきりでお世話をしてあげないといけない
車いすに乗った、息子よりももっと重い障がいをもったお子さんにも出会った
 
たくさんのチューブをつけた赤ちゃんにも出会った
 
私なんかよりも、もっとたくさん大変な思いをされている
お母さん方がいらっしゃる
私なんかが弱音なんかはいてはいけないんだ
そう言い聞かせていた
 
 
 
やがて時間の経過とともに
息子も成長していった
以前の様に
思い詰めることも少なくなってきた
 
 
でもね
それは、感情に蓋をしていただけだった
母は強くあらねばならない
いつまでもメソメソはしていられない
日々の生活におわれ
負の感情は奥底にしまわれていた
 
 
私は幸せではない
幸せにはなれない
だって、障がいをもった息子がいるから・・・・・・
 
 
本当に?
幸せになれないって誰が決めたの?
私が思いこんでいただけなのでは?
 
 
私が私の思い描いた人生を歩めないのを
息子のせいにしていたのだ
 
 
その事に気づかされたとき
とめどなく涙が出た
障がいのむすこがいたって
私は幸せになれるんだよ
私の家族は幸せになれるんだよ
幸せの形ってひとつじゃないんだよ
 
 
私の凝り固まった価値観が
自分を苦しめていた
息子を苦しめていた
 
 
あなたに障がいがあろうが、なかろうが私の大切な息子なのだから
遠回りをしてきてしまったけど
お母さん、漸く、大切なことに気づかされたよ
 
 
 
そう、みんな幸せになるために生きているのだから・・・・