バリ初歩韓国語学習者が、最近の異常に険悪な雰囲気に小さな抵抗をしてみたいということからこれまでに 学んだこと、気がついたことをUPしてみようとおもいます。
基本フレンチに、足を置くレストランでありながら、文化・言語を通してみるお隣の国には一体感を覚えることも多く、市民レベルのこうした草の根の相互理解を広げてゆくことで やがては真に東アジアの兄弟国になれるのではと希望的に考えています。
今回からしばらく文化・言語にみる親密な関係について考察します。
始めにお断りしておきますが、これ以降ご紹介するのはあくまで私個人の見方で、学術的な検証結果でないことをご理解ください。尚、韓国のさまざまな情報については諸先輩ブロガーの内容を参考にさせていただきました。特に「サランヘヨ ハングンマル」http://www.kj-road.com/sarangheyo/ 編集長様にはいつも貴重な講義を提供いただいております。
この場を借りて 改めて御礼申し上げます。
(1)情の国韓国,理の国日本:
韓国ドラマを観ていると 我々日本人の目からは、いかにもオーバーでやりすぎであるために、感情表現が受け入れがたく、主人公の対応あるいは展開が不自然なものと映ることが少なくありません。
でも 殆どの脚本がそのようですので 多少の誇張はあるのでしょうが、韓国の人はそれらをあるべき姿と受け入れているのでしょう。事の良し悪しを考える以前に 感情のままに突っ走ることは、彼らが普遍的、継続的にあるいは遺伝的にもつ民族の特性だとも考えられます。
韓国では 車の通らない交差点で信号に従って青に変わるまで待ち続ける日本の歩行者や車の映像を見ると非常に驚くそうです。
彼らは前方が赤でも 安全なら それを無視して行ってしまいます。
法や規則、ルールは人のためにあり、遵守することが人のためにならないなら 敢えて従わなくてもよいという共通の了解があるので ひたすら決まりを守ろうと時間待ちする日本人に驚くのです。
対して日本では 個人より社会秩序を優先することが正しいと教えられてきましたので、彼らを見るとなんとも無頼で身勝手な人間だと見えてしまいます。
韓国を法治国家でなく情治国家とする所以ですね。
日本政府が戦後の補償を韓国政府と取り決めた内容,即ち「国としての補償は完了していて 韓国民に個別の補償はしない」という合意を韓国の裁判所が覆す判断をしました。
「悪法も法なり」と教えられてきた日本人には なかなか理解できない決定です。
こんな中、セゥオウル号の沈没事件が起き、韓国内では 順法の国へと方向をかえるべきだという声が起こっています。道理で判断する国と情が先行してきた国がこうした不幸をひとつのきっかけに 少なくとも互いの違いを理解する懐の深さくらいは持ちたいものです。
