それは、2年間、韓国語を学習する過程で気がついたことや、参考記事・文献から得た知識を
ドラマの進行にあわせて書きとめたものでしたが、このたびその内容を再校正してアメブロサイトに公開することといたしました。
それは・・・最近のあまりにもひどい嫌韓サイドからの聞くに堪えない暴言と、
それを言論の自由という建前を都合よく使い分け あえて手を打とうとしない政治に、
激しい憤りを感じているからです。
実像を知らないままに 影響の大きいメディアや えせ韓国問題評論家の声に判断力を鈍らせてほしくはありません。地方の一市民が、自ら学ぶ中から感じ取っていった事柄をご紹介することで 亡霊の影におびえず 実物大の隣国を注視していただきたくて、保存していた過去記事を加筆、編集を決めました。
そういう私も遠い昔、天王寺駅でたくさんの朝鮮学校の生徒を目にした時、正直 見てはいけないものに出会ったというような いわれの無い差別を心に抱きつつ 彼らとの距離を保ちながら小走りに遠ざかったことが何度かありましたね・・・。本当に恥ずかしい・・・。
自分の無知から 世間の風評を あたかもそれが真実であるかのように 確かめることもせず 受け入れていた少年時代でした。
今の世論や世評は、 過去の私自身の固定観念と ほぼ同じレベルでしょうか?
しかし、当時よりもっと悪いのは、メディアやWebから入る情報が
50年前とは比較にならないほど大量にあって、
一方向からの見方が さも絶対の真実であるがごとくに 撒き散らされていること。
文化や習慣を個人の嗜好で 是か非か峻別するのは正しいとは思えませんね。
片や犬肉を食べ、片や馬肉を食べる、あるいは一方は 女性が立てひざ、あぐらで食卓を囲むのを見て行儀が悪いと非難し、もう一方は 懺悔の姿勢で食事するのを異常なことと評価する。
これらは民族の まさにDNAに刻まれてしまっているほどの食文化を 互いに白眼視しているということに他なりません。
地理的、そしてたぶん人種的にも距離が近すぎるがゆえに もろもろにわたっても近い両者であろうと見るのは間違いです。
東回りで行くと もっとも遠い国という見方もできるにですから、遠くにあるから違って当たり前としましょう。
互いの差異を認め合い すばらしい歴史や文化を学びあって もっともっとよりよい隣人関係を作っていきたいものです。
次回からは言葉や文化をテーマに書いてゆきます。
