100歳ねこ様介護の日々。〜長文です〜
何年越しのブログでございます。
我が家には、5月5日に満19歳を迎えたおばあネコ様がいます。
(正確にいうと19年前の5月5日に生後1ヶ月くらいのオチビネコのココがやってきた。)

昨年の10月頃に左肩がポコっとしこり?があることが発覚。
これまで自由に外出だなんだしていた自由奔放な生活をしていた彼女ですが、
これといって大きな病気もせずなーんも手のかからないいいこだったのです。
何度かお世話になっている獣医さんに診ていただいたら、
ガンでした。
その事実を母から聞かされたわたしは、ひたすら大泣き。
でも先生曰く、恒例のため全身麻酔で摘出をしてもリスクが伴うとのことで
ネコインターフェロン(インターキャッツ?)を5日おきにうって、ガンの進行を
防ぐ治療を。
とのことでその先生を信じるまま。延命治療生活が始まりました。

それから年を越し、相変わらずの本人はいたって元気。
しかし左肩の腫瘍は日に日に大きくなるばかり。
優しい先生は『でも(反抗的に注射され)こんなに怒るし元気だから。』
今後どういたらいいのか、飼い主の私たちが不安になるばかり。
<なにも大きな治療もせずそのまま腫瘍と上手に付き合っていきましょう。>
それから4月に入り、愛猫の延命生活の傍ら、
私は6月に控えているアメリカ留学に向け仕事納めに向け
より一層仕事に追われ忙しくなる日々。。。
4月13日。
左肩の腫瘍が大きくなりすぎて破裂。流血。
たまたま母が仕事休みで急いで獣医へ。
先生からは「破裂したら連れてきてください」と言われていたので気が動転しながらも
母は獣医さんへ連れて行きました。毛並みが年をとってもつやつやしていた自慢の毛を
肩の部分のみ剃られてしまい、応急処置をしてもらいその日は通常帰宅。
全然痛がらない本人とテンパるわたしたち。
ゴハンも選り好みをしながらも食べていたのにその数日後に食が細くなり
自立することすら不安定になってきました。
4月24日、早朝。
仕事柄、毎週火曜のみ早い出社のわたしがリビングでココがゲロをする音が聞こえ、
飛び起きて駆けつける。食が細くなっていたので戻すものもないのに全身で何かを戻そうと
している苦しんだあとに苦しそうに鳴くココはバタっと倒れてしまいました。
そのすぐあとに失禁。
そんな苦しむ姿をみて、どうにか苦しまずに。と神様にお祈りをするも最期を覚悟した
一瞬でもありました。
動機が激しく、もう。。。と正直思った瞬間、ココはまた意識を取り戻し
相変わらず気を張るようにグッタリしていました。
その日の夜、先生のもとへ飛んでいくがそこでも先生は相変わらずの対応。
もうこれ以上コノ先生には頼ったところで意味がないのではないか。
(一番強い最期の手段と呼ばれている)ステロイド剤をうってもらい、錠剤も飲ませるようと
指示があったのですが、あの吐き気やつらい症状はこの薬のせいではないかと思い、3度ほど飲ませたのですが途中からやめました。
ステロイド剤を服用しはじめてしまうと辞める行為が慎重にならないといけない、という。
そんなわたしのネットから得た曖昧な情報が気がかりになりながらもの判断でした。
相変わらず、ぐったりなココ。
4月28日。
前日、4月27日(GWの都合上)をもって私は会社を退社した私は
「休みに入る」ましてや「新卒で入った会社を退職した」という頭より何より
愛猫のココちゃんが気がかりで。。。
母、姉、ココと闘病生活を送るなかでやはり感じていた獣医への不信感。
優しくて穏やかな先生。
どうにか苦しませずにこの愛娘の一生を見送りたいという思いもあって、
知人の紹介で別のアニマルクリニックへいってみることに決意。
このタイミングで?!
と思うかもしれませんがどうもしてあげれない親たちの想いを今ひとつ察してくれない医師ではない、また別の意見、まさにセカンドオピニオンというものにすがりたくなっていたのかもしれません。
この言動によりまたココへのストレスを与えてしまう、、、とも勿論思いましたが、
セカンドドクターのもとへ母と二人で向かいました。
車中のココは具合悪そうにするも、だっこ嫌いだったくせに母の腕の中ですやすや。
車で30分くらいのところにある、アニマルホスピタル。
そこで出会った先生たちは、涙をこらえながらも答える私たちに対して一生懸命問診をしていただきました。
一見でわかるほどの左肩の腫瘍は10cm大のものになっていて、それなのにも関わらず
ここでココちゃん生まれて初めての血液検査。
半日入院という形でココから離れるのが渋るほど心配で仕方ありませんでした。
夕方、18:00。
ココちゃんをお迎えにあがります。
まず先生から検査結果を聞かされました。
かなりの脱水状態。栄養不足。(この時点で3日食事をしていなかった。)
癌とは別に腎不全の症状、および腎臓から肝臓までも蝕まれていたのでした。
幸い癌は肉腫性のもので転移はしておらず、痛みも伴わないそうです。
ただ成熟していつ果実のようなものでこの実をもがない限り熟して中から液体が出てくる。
癌腫瘍に対しては様子をみつつ、今はこの脱水状態をどうにかせんと危険です。
丁寧に各々の数値が減少していることを聞かされて、なぜこの診断を以前までの先生は
診てくれようとしなかったのか。怒りも含め複雑なおもいにかられながらも、
「今してあげることは注射でもなく点滴でもなく口から摂取する栄養です。」
の診断でした。
しかも衰弱しているココも注射器からゴハンを食べている(先生が模倣で食べさせてくださった)ではないか!!!!!!!!!!少しだけ希望が見えた瞬間でした。
ココも救われたし、飼い主のメンタルもケアされてこの先生に診てもらってよかったと思えました。
その夜ココは半日検査でぐったりでそのまま眠りにつきました。

さあ。ここから私はもうニートw!
ココの介護に徹するのみ!!!
翌日から病院で教わったように少しずつ1時間置きにゴハンを与える。
そんな毎日が新たにスタートしました。
3日続けたらまあ本人すっかり元気になり。
5日後ついに自らお皿に顔を突っ込んで、ものすごい勢いでがっつく姿に。
まさに奇跡です!
一度死にかけたココは凄まじい生命力を私たちに見せてくれたのです。
それから肩にある腫瘍は相変わらずジュクジュクしてはいるものの、
やはり痛みは感じないようです。
元気になったせいか寝たきりは本人も嫌なようでつたないながらも歩行に
挑戦する場面もたくさんみせてくれて。
トイレに行きたいが途中で疲れてしまって休憩中に失禁!なんてこともチラホラ。
家の中が大惨事になるもそんな頑張っているココの姿が笑えるし、
いとおしくてたまりませんでした。


そこから毎日のようにネコ介護をして手のかかる赤ん坊のようで尚更、
愛情が増していくと並行して、こいつはまだまだ長生きをするのだな、、、
と思っていた5月14日。
私は諸要で12日の夜から家をあけていました。
母からは心配させてはいけないという、はからいから特には連絡網はきておらず。
14日の夜、母からのココちゃん連絡が入ってきました。
「今日の朝方4時に食べたご飯以来、食べなくなっている。でも苦しそうでないから
そのまま寝かせてあげてください。時々お水を注射器で与えてやってね。」
そのメールを見てからの夜22時帰宅。
姉とココがリビングにいました。
状況があまり芳しくない様子。
ココちゃんはすやすや寝ている。どうやらその日最後にゴハンを口にしたのは15時。
それから母は老人ホームの仕事で夜勤の日。
早く帰ってきてればよかったと、若干なる後悔。
私はさすがにお腹すかして食べるだろう、と思いながらそそくさとゴハンを準備。
寝たきりのココの寝床で今日はゴハンだ♪
とおもって口に近づけるが顔をそむける。
ショックだった。
仕方ないのでお水を飲ませてやるとゴクゴク飲む。
ショックながらも少し安堵を覚えました。
そのままリビングに置いておくのは心配なので隣に置いて今夜は就寝。
夜中、気にかけ目をやるがすやすや眠っている。息もしている。
夜中2回ほどお水タイムをもうける。ちゃんと飲んでくれる。
朝がきて、おしっこもおしっこシートにしていた。
夜勤明けの母が帰ってきて再度ゴハンを注射器で再トライ。
母と二人がけでやりやすい体勢で試みるがやはりダメでした。
無理にゴハンはやめようと思って再び眠りにつかせて様子を見ていました。
そしたら突然嘔吐をする動きを見せ始めたココちゃん。
全身で苦しそうにいつだかの光景が蘇る。
しかし出すものがないので何も吐けず、ひたすら全身でもがいている。
仮眠を取っていた母を起こし、見守る。
痙攣しはじめたココ。
少しでも楽に!という念を唱えながらさすってあげました。
5~10分の間だけ苦しんでココは永遠の眠りにつきました。
2012年5月15日、13:30永眠。
享年満19歳(推定)。
半月前、一度死にかけたコルミ。(実際に呼んでいた愛称。)
こいつは不死身の生命力の強いスーパーキャット。
プライドが高く、負けん気の強い性格。
そしてだっこや人に触れられるのが嫌いな超典型的ツンデレ。
最期の最期には私や母のことを頼って甘える姿を見せてくれました。
共に成長してきた一番の友達であり、愛娘のようであり。。。
我が家にやってきてくれて素敵な思い出をありがとう。
いつかまた会おうね♡ぜったい、ぜったいね!
R.I.P Coco
love... Rena

我が家には、5月5日に満19歳を迎えたおばあネコ様がいます。
(正確にいうと19年前の5月5日に生後1ヶ月くらいのオチビネコのココがやってきた。)

昨年の10月頃に左肩がポコっとしこり?があることが発覚。
これまで自由に外出だなんだしていた自由奔放な生活をしていた彼女ですが、
これといって大きな病気もせずなーんも手のかからないいいこだったのです。
何度かお世話になっている獣医さんに診ていただいたら、
ガンでした。
その事実を母から聞かされたわたしは、ひたすら大泣き。
でも先生曰く、恒例のため全身麻酔で摘出をしてもリスクが伴うとのことで
ネコインターフェロン(インターキャッツ?)を5日おきにうって、ガンの進行を
防ぐ治療を。
とのことでその先生を信じるまま。延命治療生活が始まりました。

それから年を越し、相変わらずの本人はいたって元気。
しかし左肩の腫瘍は日に日に大きくなるばかり。
優しい先生は『でも(反抗的に注射され)こんなに怒るし元気だから。』
今後どういたらいいのか、飼い主の私たちが不安になるばかり。
<なにも大きな治療もせずそのまま腫瘍と上手に付き合っていきましょう。>
それから4月に入り、愛猫の延命生活の傍ら、
私は6月に控えているアメリカ留学に向け仕事納めに向け
より一層仕事に追われ忙しくなる日々。。。
4月13日。
左肩の腫瘍が大きくなりすぎて破裂。流血。
たまたま母が仕事休みで急いで獣医へ。
先生からは「破裂したら連れてきてください」と言われていたので気が動転しながらも
母は獣医さんへ連れて行きました。毛並みが年をとってもつやつやしていた自慢の毛を
肩の部分のみ剃られてしまい、応急処置をしてもらいその日は通常帰宅。
全然痛がらない本人とテンパるわたしたち。
ゴハンも選り好みをしながらも食べていたのにその数日後に食が細くなり
自立することすら不安定になってきました。
4月24日、早朝。
仕事柄、毎週火曜のみ早い出社のわたしがリビングでココがゲロをする音が聞こえ、
飛び起きて駆けつける。食が細くなっていたので戻すものもないのに全身で何かを戻そうと
している苦しんだあとに苦しそうに鳴くココはバタっと倒れてしまいました。
そのすぐあとに失禁。
そんな苦しむ姿をみて、どうにか苦しまずに。と神様にお祈りをするも最期を覚悟した
一瞬でもありました。
動機が激しく、もう。。。と正直思った瞬間、ココはまた意識を取り戻し
相変わらず気を張るようにグッタリしていました。
その日の夜、先生のもとへ飛んでいくがそこでも先生は相変わらずの対応。
もうこれ以上コノ先生には頼ったところで意味がないのではないか。
(一番強い最期の手段と呼ばれている)ステロイド剤をうってもらい、錠剤も飲ませるようと
指示があったのですが、あの吐き気やつらい症状はこの薬のせいではないかと思い、3度ほど飲ませたのですが途中からやめました。
ステロイド剤を服用しはじめてしまうと辞める行為が慎重にならないといけない、という。
そんなわたしのネットから得た曖昧な情報が気がかりになりながらもの判断でした。
相変わらず、ぐったりなココ。
4月28日。
前日、4月27日(GWの都合上)をもって私は会社を退社した私は
「休みに入る」ましてや「新卒で入った会社を退職した」という頭より何より
愛猫のココちゃんが気がかりで。。。
母、姉、ココと闘病生活を送るなかでやはり感じていた獣医への不信感。
優しくて穏やかな先生。
どうにか苦しませずにこの愛娘の一生を見送りたいという思いもあって、
知人の紹介で別のアニマルクリニックへいってみることに決意。
このタイミングで?!
と思うかもしれませんがどうもしてあげれない親たちの想いを今ひとつ察してくれない医師ではない、また別の意見、まさにセカンドオピニオンというものにすがりたくなっていたのかもしれません。
この言動によりまたココへのストレスを与えてしまう、、、とも勿論思いましたが、
セカンドドクターのもとへ母と二人で向かいました。
車中のココは具合悪そうにするも、だっこ嫌いだったくせに母の腕の中ですやすや。
車で30分くらいのところにある、アニマルホスピタル。
そこで出会った先生たちは、涙をこらえながらも答える私たちに対して一生懸命問診をしていただきました。
一見でわかるほどの左肩の腫瘍は10cm大のものになっていて、それなのにも関わらず
ここでココちゃん生まれて初めての血液検査。
半日入院という形でココから離れるのが渋るほど心配で仕方ありませんでした。
夕方、18:00。
ココちゃんをお迎えにあがります。
まず先生から検査結果を聞かされました。
かなりの脱水状態。栄養不足。(この時点で3日食事をしていなかった。)
癌とは別に腎不全の症状、および腎臓から肝臓までも蝕まれていたのでした。
幸い癌は肉腫性のもので転移はしておらず、痛みも伴わないそうです。
ただ成熟していつ果実のようなものでこの実をもがない限り熟して中から液体が出てくる。
癌腫瘍に対しては様子をみつつ、今はこの脱水状態をどうにかせんと危険です。
丁寧に各々の数値が減少していることを聞かされて、なぜこの診断を以前までの先生は
診てくれようとしなかったのか。怒りも含め複雑なおもいにかられながらも、
「今してあげることは注射でもなく点滴でもなく口から摂取する栄養です。」
の診断でした。
しかも衰弱しているココも注射器からゴハンを食べている(先生が模倣で食べさせてくださった)ではないか!!!!!!!!!!少しだけ希望が見えた瞬間でした。
ココも救われたし、飼い主のメンタルもケアされてこの先生に診てもらってよかったと思えました。
その夜ココは半日検査でぐったりでそのまま眠りにつきました。

さあ。ここから私はもうニートw!
ココの介護に徹するのみ!!!
翌日から病院で教わったように少しずつ1時間置きにゴハンを与える。
そんな毎日が新たにスタートしました。
3日続けたらまあ本人すっかり元気になり。
5日後ついに自らお皿に顔を突っ込んで、ものすごい勢いでがっつく姿に。
まさに奇跡です!
一度死にかけたココは凄まじい生命力を私たちに見せてくれたのです。
それから肩にある腫瘍は相変わらずジュクジュクしてはいるものの、
やはり痛みは感じないようです。
元気になったせいか寝たきりは本人も嫌なようでつたないながらも歩行に
挑戦する場面もたくさんみせてくれて。
トイレに行きたいが途中で疲れてしまって休憩中に失禁!なんてこともチラホラ。
家の中が大惨事になるもそんな頑張っているココの姿が笑えるし、
いとおしくてたまりませんでした。


そこから毎日のようにネコ介護をして手のかかる赤ん坊のようで尚更、
愛情が増していくと並行して、こいつはまだまだ長生きをするのだな、、、
と思っていた5月14日。
私は諸要で12日の夜から家をあけていました。
母からは心配させてはいけないという、はからいから特には連絡網はきておらず。
14日の夜、母からのココちゃん連絡が入ってきました。
「今日の朝方4時に食べたご飯以来、食べなくなっている。でも苦しそうでないから
そのまま寝かせてあげてください。時々お水を注射器で与えてやってね。」
そのメールを見てからの夜22時帰宅。
姉とココがリビングにいました。
状況があまり芳しくない様子。
ココちゃんはすやすや寝ている。どうやらその日最後にゴハンを口にしたのは15時。
それから母は老人ホームの仕事で夜勤の日。
早く帰ってきてればよかったと、若干なる後悔。
私はさすがにお腹すかして食べるだろう、と思いながらそそくさとゴハンを準備。
寝たきりのココの寝床で今日はゴハンだ♪
とおもって口に近づけるが顔をそむける。
ショックだった。
仕方ないのでお水を飲ませてやるとゴクゴク飲む。
ショックながらも少し安堵を覚えました。
そのままリビングに置いておくのは心配なので隣に置いて今夜は就寝。
夜中、気にかけ目をやるがすやすや眠っている。息もしている。
夜中2回ほどお水タイムをもうける。ちゃんと飲んでくれる。
朝がきて、おしっこもおしっこシートにしていた。
夜勤明けの母が帰ってきて再度ゴハンを注射器で再トライ。
母と二人がけでやりやすい体勢で試みるがやはりダメでした。
無理にゴハンはやめようと思って再び眠りにつかせて様子を見ていました。
そしたら突然嘔吐をする動きを見せ始めたココちゃん。
全身で苦しそうにいつだかの光景が蘇る。
しかし出すものがないので何も吐けず、ひたすら全身でもがいている。
仮眠を取っていた母を起こし、見守る。
痙攣しはじめたココ。
少しでも楽に!という念を唱えながらさすってあげました。
5~10分の間だけ苦しんでココは永遠の眠りにつきました。
2012年5月15日、13:30永眠。
享年満19歳(推定)。
半月前、一度死にかけたコルミ。(実際に呼んでいた愛称。)
こいつは不死身の生命力の強いスーパーキャット。
プライドが高く、負けん気の強い性格。
そしてだっこや人に触れられるのが嫌いな超典型的ツンデレ。
最期の最期には私や母のことを頼って甘える姿を見せてくれました。
共に成長してきた一番の友達であり、愛娘のようであり。。。
我が家にやってきてくれて素敵な思い出をありがとう。
いつかまた会おうね♡ぜったい、ぜったいね!
R.I.P Coco
love... Rena






