自分で自分の首を絞めている。
好きでもないもの…と言うか、「今も好きではあるけれど昔ほど情熱を注げなくなってしまった物」を、昔と変わらないように好きであり続けようとして、苦しくなってしまっている。
ま、具体的に言えば、楽器演奏と英語力についてなんだが。
昔ほどギター好きじゃないのに、いまだに「ギターが弾けるようになりたい」と執着している。でも、楽しくないので練習に身が入らなくてスタジオ入る日が近づいて焦って、それでも練習しない自分に自己嫌悪。
英語も昔ほど興味があるわけじゃないのに、いまだに「英語がしゃべれるようになりたい」と執着している。でも、結局勉強しないままロンドン旅行が近づいてきて焦って、それでも勉強しない自分に自己嫌悪。
両方とも、ただの個人的な趣味の話である。別に、誰かに強制的にやらされるものでもないし、やらないと何か問題が起こるものでは無い。
ただの"趣味"にこんなにも苦しめられている。
なぜか。
なぜここまで執拗に執着し続けるのか。
答えは分かっている。
自分に対する自己肯定感、自尊感情が、条件付きのものしか認められないから。
ありのままの自分を認められない。
「○○できる自分」しか認められない。
何もできない自分、何もしない自分ではだめなのである。
「○○できる自分」じゃないと。
だから、好きな物にかこつけて、必死で「○○できる自分」になろうとする。
私が仕事以外のプライベートな時間でいつもしていることは、趣味を見つけて楽しむことではない。何か「○○できる自分」という目標設定を掲げて、それになろうと必死になっているのだ。
…楽しいわけがない。
音楽や英語が好きな気持ちは嘘ではない。別に嫌いな物を無理やり好きに、という訳では無いのだが。
問題は、
音楽が好きだ。→なら、ギターぐらい弾けるようにならないと。
英語が好きだ。→なら、もっと勉強して今よりペラペラにならないと。
という発想に至っていしまうのだ。これが自分を苦しめるもと。
わかっている。
わかっているのだけれど、抜け出せない。
ここまでわかっているのに私はやっぱりいまだに「○○できる自分探し」を辞める事ができない。何もできない自分を認められない。何もできない自分なんて、そんな恐ろしい事は無い。
だけどここに来て困ったことが起きた。ギターの練習も英語の勉強も、もうまったく手につかない。そろそろ頑張るのも限界なのである。
なら、辞めてしまえばいい。答えは簡単な事だ。
それがひとりでやっている事ならば。
しかし私は何を思ったか他人を巻き込んだ。ろくにギターに触りすらしないくせに、バンドメンバーを集めてしまった。スタジオに入る日を決めてしまった。
ロンドン旅行なら、英語ができなくても何とかやってのける事はできる。というか、今ある英語力で何とかできる…と思っている。ひとりでは無いし。
しかしバンド活動は…練習しないわけにはいかない。弾かなければやっていけないのである。他のメンバーに迷惑がかかる。
でも、私はそれをわかっていて敢えてバンドを結成した。そうすれば、必要に迫られて嫌でも練習するだろうと思ったのだ。私は自分で自分の首を絞める事が本当に大好きなようで困った。
でも。無理だった。
「やりたい事」を「やるべき事」にすれば自ずとやれるようになるだろうと思ったが、そんなに簡単な話では無かった。
むしろ逆だった。やりたい事をやるべき事にしてみたら、余計苦痛になるだけだった。
なので今、困っている。やっと最初の一文に戻ることができた。
長い文章をここまで読んでくれてありがとう。ただ、これを読んだあなたがバンドメンバーで無い事を祈る。