「パレード」を観てきました。
ネタばれありです。
特殊な映画でした。
共感できたとしても一般的な映画はあくまでもフィクションでしかない、もちろんこれもフィクションで自分の日常とはかけ離れているんだけれどある意味リアル。
人間関係と孤独感、他人事じゃないですからね。
まったりと物語は進んでいきぼんやりと終わり、観たあと悩まされる。
説明があるわけじゃないから、答えは自分の想像力でしかないのだけれど。
傍観者的な直輝が犯人だった・・どうして壊れていたのか。
その状線はどこにあったんだろう。
直輝の描写は自分を語るより他人のために動いている場面が多かった。
たしかに直輝は冷めた考え方をする人物だった。
「未来が知っているサトルは未来しか知らないんだよ、皆が知っているサトルなんて誰も知らないんだよ」
犯人だった直輝よりむしろサトルが一番こわかった。
犯行を目撃したのに許すも許さないもない。
しかもサトルが言うように本当に皆は直輝の犯行を知っていたのだろうか?
こういうところもそれぞれ観た者の解釈に任せられているんですよね。
サトルはどういうつもりでそう言ったんだろう。
救われないですね、許しも許されもしない直輝は。
ラストシーン、みんなを見上げる直輝、直輝の孤独に無関心な皆。
観終わってからずっとそういった孤独がうつってしまったかのように重いものが残りました。
直輝を皆が内心「可哀想な奴」って思っていたとしても、多かれ少なかれ皆も同じ。
(良介はまずまず平凡な人間に見えましたが)住人たちそれぞれが屈折していて、
それぞれがラストに向かい少しづつさらけ出される。
彼らの持っている闇の最も象徴になったのが直輝の結末で、犯人はだれでしょうの薄いサスペンスものではないんですよね。
うわべだけの付き合い、人間関係、付かず離れずが楽。
さらけ出して傷つくのは怖いし、一人は寂しいから関わりを持っていたい。
しかしラストは究極、あそこまでいくと怖いですね。
竜也くんはダラダラな感じで突出しないよう巧みに調和していました。
でもと要所要所ではしっかり自分の世界に持っていってました。
サトルを尾行して覗き見る顔、宣伝で予め観てしまっていたのが残念。
初見で観たかった。
琴ちゃんに彼への伝言を引き受けるときの表情が優しい、一瞬のオアシス。
この二面性があとに生きてます。
劇場が遠いのでなかなか再度観るのが困難ですが、もういちどいろんなところを見直してみたいです。
また違った発見がありそう。
原作を読んだら答えが見つかるかもしれないけれど、竜也くん作品につき原作は読まない主義です。
「ピクトアップ」で竜也くんの印象について語るのに林くんが「あの・・好きです」って・・本当になつかれちゃってますね。かわいいでしょうね。ファンとしても嬉しいです。
