年表を書いておこう。
覚書のためにも。
ひな祭りの日、生まれる。
母に感謝。
誕生日だけが、唯一の自慢。笑
父、母、祖父、祖母、父の妹2人、わたし、妹。
8人家族でした。
当時の記憶は、母が怖く、
おばあちゃんが大好きでした。
母は妹を可愛がり、
わたしは怒られてばかり、という記憶。
妹の記憶は、姉のわたしの後をついてきて、
階段から落ちたということ。
何歳だったか忘れましたが、わたしも覚えています。
大人になってからも、ずーっと、あんたに落とされた!と言われます。
いや、あんたがついてくるからやん!( ̄◇ ̄;)
あと、幼馴染が小さな弟をおんぶしてるのを見て、
わたしもやりたくなり、妹をおんぶして、
重さに耐えきれず、落としてしまいました。
2歳違いの姉妹では無理でした。( ̄◇ ̄;)
そのことも言われます。
それは、わたしが悪いので仕方がない。
でも、妹の泣き声を聞いて思ったことは、
母に怒られる!!でした。
妹が泣くと、いつもわたしが怒られる。
妹がピンクを選ぶから、わたしは残った水色を。
わたしなりに、妹を可愛がってたつもり。
妹には伝わってないけど。笑
年表というより、昔話になりました。
ま、いっか。
続きます。
幼稚園は、幼馴染の、ノンとミユキちゃんと一緒に、
幼稚園バスに乗って行ってました。
ある日、ミユキちゃんが引っ越しでいなくなることを知ります。
大好きなお友達との別れが、辛かったのを覚えています。
そして、大好きな祖母が病気で亡くなりました。
今、過去帳を見たら、わたしが4歳の夏でした。
59歳没。
早過ぎます。
まだまだ一緒にいたかった。
しばらく、祖母の思い出話をされると、
わたしは泣いていました。
今は顔も思い出せなくなりました。
写真が残っていないのです。
たぶん、親戚宅にはあるだろうな。
祖母が亡くなり、父の妹2人も結婚していなくなり、
祖父、父、母、わたし、妹、5人家族になりました。
そんなある日、母が事故に遭います。
自転車とバイク。
轢き逃げでした。
バイクに乗ってたのは学生だったようです。
詳しいことはわかりませんが、
しばらく入院していました。
後遺症もあったようですが、
母は元気になり、帰ってきました。
幼稚園では、名前忘れましたが、
大好きな男の子がいて、
一緒に遊んでました。
人見知りが激しく、
輪の中に入っていけず、
ひとりで鉄棒で遊んでた記憶もあります。
大好きな先生がいて、
鼓笛隊の先頭に選んでもらったり。
ハチミツマーヤの衣装を着て、嬉しがっていたり。
とんでったバナナの歌を、
どこか大きなホールで、
みんなで合唱、合奏?したような。
ここまでが、曖昧ですが、幼稚園までの記憶。
長くなったので、また。
明日は、母の日ですね。
これを聴いて、涙活。
わたしも一応、母なんです。
これでも、長男、長女、次男の母。
母の日にカーネーションをもらった記憶もあるけれど、
いま、どう思われているのやら。
わたしは、ミポリンの気持ちがすこしわかります。
息子さんに会いたかったという気持ちが。
わたしもいつか独りで亡くなると思います。
孤独死。
同期にお願いしてあります。
腐る前に見つけて、と。
いつでも電話できるようにしときや、と言われました。
わたしの住んでいる場所を知っているのは、次男だけ。
長男には洗濯機を運んでもらいましたが、
その一度だけ。覚えているかわかりません。
でも、わたしの保証人になってくれたのは、長男です。
娘は、、、。
いつかわかってくれる時がくる、と。
結婚したら、母になったら、
わたしの気持ちを理解してくれるよ、と、
言われていますが、そんな日はまだ先のようです。
娘にとって、母であるわたしは、自分勝手。
それでいいし、
実際、それで合ってます。
母としての生活より、自分の人生を選んだから。
ごめんなさい。
でも、わたしはいつまでも、ここにいます。
あなたたちの幸せを願いながら。