シニア夫婦の正月は静かに過ぎるはずでしたが
3日の日…突然の事でしたが姉が亡くなりました。
姉に対するおばさんの最期のお世話それが喪主とは決めてました。
コロナ禍の中ですので、ダンナさんと神奈川の姉とホントに
質素でしたがお花いっぱいで見送る事が出来ました。
問題児であった姉…オバサンはこの姉を見送らない事には
あの世に逝けないな~と日々考える毎日でしたから
苦しまず眠るように穏やかな顔で逝ってくれたのはある意味
ホッとしたというのが正直な気持ちです。
施設で、夜間の介護士さんが巡視の時に亡くなっているのに
気付いて下さったとか。
施設では毎日日報をラインで送って下さったりと、ホントにお世話に
なりました。
思い起こせば…オバサンが姉の事、会社の事でMAXになって
いる頃…手を差し伸べて下さったかかりつけの先生、包括センターの方
ケアマネさん、施設長さん、介護士さん方…言葉に表せないほど
お世話になり感謝でイッパイです。
人に救いを求める事が恥ずかしい事だと見栄もあり、積極的に行政にも
相談せず、一人でモンモンと姉に対する怒りや恨み、憎しみみたいなもんを
抱えて…それでも精いっぱいやっていたつもりでしたが…
自分が病んでゆきました…病んでしまったら共倒れ。
それを救ってもらったみなさんへの感謝はずっと忘れてはならないと思います。
コロナになって姉の介護レベルはこの2年で介護2から介護5の
レベルまで上がりました。
姉を外に連れ出しての食事はもちろん、散歩も面会も出来なくなったことは
姉が一気に介護5迄上がった事にやはり無関係だとは思えません。
それでも…これで良かった!
姉の顔は驚くほど若く、鼻筋が通り、若い頃の顔に戻ってました。
これってどうして??と思うほど不思議なくらいきれいで穏やかでした。
何かから解放された姉を悲しむことはなく…良かったねで見送るのは
一般からしたらおかしいのかもしれないけど…
オバサンはある意味姉は、幸せに旅立てたとそう思ってます。
オバサンは妹として、何かから解き放された姉に初めてココロから
”お疲れさん…ゆっくり休める日が来たね”と声を掛けました。
後悔がないわけではありません…やはり突き放したことも有ったし
この2年は特に施設にまかせっきりと言う状態でしたから。
でも…やれることはやった感があるのも事実です。
クヨクヨすることは何もありません。
姉の顔はオバサンに”ありがとう!”とそう言ってくれてるように
美しく、優しかったから…。
人は誰しも生まれたからには、死と言うゴールに向かって
生きて行くものです。
長い人生、生きてるからこそ苦しい、哀しい、うれしい、楽しいという
体験や経験をします。
その時その時で泣いたり笑ったりの繰り返し…でもそれが生きるという事。
小さい幸せは…みんな当たり前だと、気づかない事が多いと思いますが
小さな幸せが積み重なっていづれ気づかないうちに自分の大きな幸せに
繋がってくるという事をこの頃気づきました。
死にたい位辛くても、そこで踏ん張ればマイナスな人生には絶対ならないと
オバサンは信じてこれからも余生を過ごします。
人生逃げたら、追っかけて来るもんが必ずいます。
だから…逃げたくなったら時間の過ぎるのをじっと待つ…
おばさん自身はそれが賢明と思うこの頃。
さ~今年は動の年にします。
良い年にするためには、自分なりに、ガチガチではなく
緩~くてもいいから努力はしながら1日1日過ごして行こうと思います。
だから良かった!…その人生に近づいて行ってるそう思える
日々を過ごして行きます。
そのためにも…ダンナの調教はますます必要!