偶然に瀬戸内寂聴さんの動画にたどり着きました。
その中の対談の言葉に”日にち薬”と言うのがありました。
これって…おばさんのメンタルの先生と胃腸科の先生がくれた言葉
”時間が流れて行けば状況も変わり解決して行くこともあります”って
言うのと一緒だな~と見入りました。
おばさん自身この5年という歳月で大きく変わった状況…
少しずつ緩やかに自分の感情が変化してきています。
あきらめではなく…受け入れる事が出来るようになった事がイッパイあります。
何をしたというわけでもないんですが、やはり時の流れがおばさんに
色んな体験、経験を指せてくれて、ここ迄気持ちを持ってこれてると思います。
そうなんだ!日にち…すなわち時の流れが薬なんだ!
”日にち薬”…ピッタリの言葉…これだ!…ココロの中で叫んでしまいました。
寂聴さん曰く…なんでもこの言葉は大阪の人が言ってた言葉だとか…。
オバサンの中には忘却…すなわち忘れ去る事への悪の意識がありましたが…
考えてみると時間が経ちいろんな辛いことへの思いが薄れて行くのも
与えられた”日にち薬”のおかげだったんでしょうね。
オバサンは、若い頃長男を亡くし、そして苦労の連続だった最愛の母を
亡くした時、深く哀しみ嘆きました。
何かあれば、思い出し、身体を弱く生んでしまった長男、そして親孝行も
出来ず、最期にも立ち合えなかった事をずっと悔やんでました。
だけどこの頃あまり思い出さなくなってました…それがなぜかとても自分が
薄情な人間のような気がして、そこでまた自分を責めるような事になってましたが
今日の寂聴さんの話で…自分を薄情者とか思わず、それも”日にち薬”の
おかげで、死というものが哀しいだけではなく尊いものだと思えるようになりました。
そう思うと…いつまでも嘆いていても息子も母も喜ぶはずはないに変わりました。
自分が現世で身体もココロも元気に生きる事こそ息子や母への感謝と供養に
なる事でしょう…(^^ゞ。
寂聴さんの説法は彼女の歩んだ人生のストーリーもあり、受け入れやすいです。
自分の中の善と悪、白と黒の部分も悩みでしたが、それがあってこその
人間と言う生き物の人生であると勝手にですが解釈。
気を楽に持ちすぎるとうちのダンナみたいに大丈夫人生になるだろうけど
ある意味、背負いすぎる荷物は肩から降ろす方が歩きやすいし前に進めますね。
”日にち薬”はお金もかからず誰でも手に入れる事が出来ます。
そんなのんきなと言う方もいらっしゃるでしょうが、要は何もしないで
日にちを過ごせばいいというものでもなく、1日1日悩んだり苦しんだり
した上で学んだ事は成長につながり、良い方向に向くという事ではないでしょうか?
99歳で逝かれた寂聴さんは…きっと辛い思いもイッパイされたかもしれないけど
人として、女性として可愛く純粋に自分の道を全うされたのではないかな?
オバサン…”日にち薬”は死ぬまで携帯しますよ。
寂聴さんありがとうございました~。