一番ドリフターズに夢中になってたのは高校1年くらいの




頃だったかな~?




いわばおばさんの青春時代に乗りに乗ってたドリフターズ。




途中から、荒井注さんの代わりに入ってきたのが志村けんさん。




おばさん達は友達との会話の中では、”志村”と呼び捨てで




あの頃は、学校に行くと、前日の”全員集合”の話題で




盛り上がっておりました。




ドリフのメンバーはそれぞれ個性もあり、おばさんの中では




カトちゃん、志村、コージ、ブー、注、長さんとニックネームを




呼びながら、夢中で笑いながらギャハハ~と盛り上がってました。




まさしく…箸が転んでもおかしい世代にドリフの話はうってつけで




楽しかった。




ホント…よく腹抱えて笑わせてもらいました。




ニックネームで呼ばせてもらいますが…志村が参入してからの




ドリフの全員集合は、以前よりもっと楽しく…動きもハードになり、




今となっては絶対危険だと問題になるような舞台装置も…あの頃は




それが普通と言う視聴者の感覚で…何も考えず、ただ面白くて




大笑いしてました。




晩年の、たまにみんなが集まってやる”全員集合”は、見事に




おばさんも歳をとって視てましたが、ダンナの前ではめったに




笑わないおばさんが、不覚にも笑ってしまう(^^ゞ…




いい意味で素になって腹の底から笑える…若かりし頃の




可愛かった青春時代にタイムスリップさせてもらう時間でした。







特に志村のマッサージのひとみバアサンはファンでした。




孫にひとみバアサンを演じて見せると、小さい頃は大笑い




してくれて…結構うけたし。




この頃では、”志村でナイト”を深夜にもかかわらず、視聴して




一人で笑っておりました~。




まさか…こんな早く逝ってしまうとは夢にも思わず、コロナに感染




して、入院と聞いても、志村だから絶対”だいじょぶだ~”と楽観視




してましたね。




この世から志村けんさんがいなくなった!?




いくらワイドショーでワ~ワ~やってても…ピンと来ない。




バカ殿さま、変なおじさん、ひとみバアサン…全部志村…貴方ですから。








どちらかと言うと小さい時から、人知れず、ココロの底に闇を抱えて




送って来た人生のおばさん。




ある意味仮面かぶってきたおばさんが、素になって声を上げて笑える




楽しさをもらってました…ホントにありがとうございましたドキドキ








今回の志村けんさんの死去で、コロナウイルスの怖さ…思い知りましたね。




インフルエンザと同じレベル…ではないという事を改めて知ったような気がします。




誰がいつどこで感染するかなんてわかりません。




だからこそ…俺は大丈夫!私も大丈夫!ではなく…老若男女みんなが




コロナウイルスをもっともっと怖いもんだという事を十分に認識する。




このままで行くと、欧米の現実は、日本の現実となる可能性は大。




対岸の火事…的にとらえてはダメだと思います。








国や、都道府県でいろんな要請、制限が出て…恐怖をあおりすぎだと




おっしゃる評論家もいらっしゃいますが…要請や制限は決して煽ってる




わけではなく、国をウイルスからから守るための大事な措置だという事を




理解しましょうね。




人工呼吸器は数はあっても、取り扱う人の人数が少ないそうです。




やはり、うつらない、うつさない…コロナを甘く見ないでやっつけましょう!







”志村~ズ~ッとこれからも笑かしてね~”




昭和の時代が…また遠くなってしまった感で、寂しく、哀しいのは




今回、時代の流れ…ではなく、まさかのコロナ感染で突然…




大きな星☆彡を失ったのが事実。




このことは、やはり残念、無念でしかありません。







志村けんさん…寡黙なお酒と聞きましたが…どうぞあちらに住所変更




されても、良いお店を見つけて静かに笑みを浮かべながら




お酒を楽しんでくださいませ! 合掌