東北の震災…あれから7年。
被災された時小学生だった被災にあった子供が立派な高校生になったりした姿を
TVでみると、ア~あれから7年もの歳月が流れたんだと感慨深いもんがありますね。
7年と言う歳月が短く感じるのか、長く感じるのか…。
被災者の方たちにはいろんな思いを抱えての辛い7年間だったことでしょう。
それでもおばさんや、一般の国民の方も…7年と言う期間で
阪神の震災の時のように復興に向けて少しは生活が落ち着いてきたんだろうなと
単純に思ってたんではないでしょうか?
しかしながら…そんな簡単な7年間ではなかったことがこの頃の情報にて改めて知り、
おばさんをはじめ多くの国民、そして政府は本当にまだまだ被災地の方たちの事を
バックアップ、サポートして行く必要があるんだと思いました。
おばさんが一番哀しく思ったのは、海沿いに作られてゆく防波堤…。
もちろん津波から住民を守るためには必要なものではあるのでしょうが
あまりにも寂しい風景に…その町に生まれ、被災に逢われた方のホントの
気持ちを尊重して作った防波堤なんだろうかと疑問に思いました。
おばさんは特に海が好きで、砂浜に座り水平線を眺めながら…
いつも海に話を聞いてもらいながら…元気をもらう人なんで
必要だとはわかっていても人と海を隔てるようなあの高いブロック塀の
ような防波堤を素直に受け入れられません。(T_T)
自治体によりいろいろと防波堤の件では検討され建築されているんでしょうが
100%住民の意見がそろわないと言うのも事実だろうし…
やっぱり復興って、そんな簡単なもんじゃありませんね(_ _。)
もちろん防波堤だけの問題ではなく、復興には大きなココロの問題も
まだまだ残っていると思います。
国の事情はおばさんにはよくわからないけれど…復興するって大変なんだな
という事が今さらながらですが、よくわかりました。
この時期だけあの震災を思い出すと言うおばさんは、ちょっと恥ずかしいなとも思いました。
東北の震災も…7年もたつと忘れがちになってしまいます。
あの震災の時、災害後の状況を現実のものとして受け入れられない
くらいの衝撃を受け…家を失い、家族を失い…そんなかた達に純粋に
自分が手伝えることはないだろうかと考えていた時期もありましたが
実際の話…自分の抱えていること、自分の事での苦しさが
どうしても前に出て、ダンダンと東北の震災のことは薄れて行ったと言うのが真実です。
あの年は…おばさんにとっても辛い年の始まりであったけど
今こうして生きているし…生きていればこその幸せを感じることが
出来ます。
災害とは突然にやってきて、突然に人生を変えてしまいます。
遠い場所での出来事ではなく、不意に自分の身にかかってくるかも
しれません。
被災者の方たちが教えてくれた教訓を忘れずに…改めて
ご冥福を祈ります。
足腰元気なうちに東北を訪ねたいと思います。
薬局の仕事を完全に辞めたら絶対行きます。!!
皆さんを励ますなんて言う力は、おばさんには備わっていませんが
この目で見て、祈りたいと思うようになりました。
祈ることしかできませんが…地元の方たちが考える復興が1日も早く実現することを
何かの形で、おばさんなりに応援出来たらいいな~とそう思います。
おのくんの里親にもなりたいですね~o(〃^▽^〃)o