自己満足は最初の一歩と信じてみる | ねこじとせとせ

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かぶくわ!!!

最近の自分のブログのスタンスとしては、近況報告しか書かないってなってたんだけど、今日は一つの決意表明として書こうと思う。
長いよ長いよー。

すげー長いから。




7月14日の月曜日、私の大好きな友達、フクチャンが息を引き取った。


この文章を書いてる今日(7月16日)、荼毘にふされた。
ポツポツポツポツ雨が降っていて、ああこういうの空が泣くって言うんだなと思った。
神様がいて、フクチャンがすごい面白くて楽しい人だから、早々にそばに呼んだのだとしたら、神様はエゴの塊だと思う。


2年前に「胸が痛いんだよー」「えーおめでたなんじゃないのー?」って電話したのが最初だった。
それは、おめでたなんかじゃなくガンだった。
乳癌は、肺とリンパに転移していた。


その年の冬には末期の状態だと言われたと聞いた。
末期?なんで?何それ?どういう状態なの?
全くわからなかった。

その頃、一度だけ我が家に遊びに来てくれた。
抗がん剤の副作用で髪が抜けてるからカツラをかぶっていたけど、それ以外の見た目はそんなに変わった感じはなくて、声も元気そうで、ガンの末期って言葉から想像し得るこれから先の出来事を払しょくするかのようだった。


最初は、たびたびメールを送った。
けれど、そのうち指先が痛くてガラケーの文字が打てないから、スマホにしたんだと聞いて、メール打つのもシンドかったんだな・・・と自粛した。
そのうち、あんまりこっちがメール送っても、返信しなきゃって気にしてたら悪いなーとか、体調どうなのか気になってたけど、聞かれるのいやかな?とか思うようになって、メールをあまりしなくなった。
フクチャンが気の乗った時にメールしてくれたら、しっかり返信しよう。
そういうスタンスになった。

時々やり取りするメールの中で、仕事を始めたとか聞いたから、私が思うより体調良いのかな?と思ったりした。


ガン、末期。
その未来は、容易に想像できる。
だけど、フクチャンの声やメールは、ずっといつも通りの調子で何も変わらないから、そんな想像は想像のままで終わって、治療の甲斐あって癌も消えて、そりゃ度々検査に行かないといけないかも知れないけど、フクチャンも彼氏と結婚して、主婦友として遊んだりする日が来るかしら?と言う未来を、私はたくさん想像した。


3か月ほど前、猫を飼いたいけどどうしたら飼える?ってメールが来た。
いろいろ説明したら「難しそう、焦らず探してみるね」って返事が来た。
それが最後のメール。


いつも心の片隅にフクチャンのことはあって、気になってたし、言いたいこともいっぱいあったけど・・・私は悠長だったんだろうな。
正直、こうなることは分かってた。
それがいつなのか分からないけど、こうなるだろうことは分かっていた。
分かっていたけど、現実に考えることはできなかった。
だから、月曜の夜に電話かかってきて亡くなったって聞いて、それがまさか「今日」だとは思わず、驚いた。テンパった。
お通夜行こうと思って、お焼香のやり方ってどうだっけ?って焦って、焦りながらもフクチャンとのいろんな思い出がよみがえってきた。


フクチャンと私は、小学1,2年同級生で、その後私は北海道に引っ越し。
中1で広島に戻ってきて、また中学3年で転校した学校のクラスにフクチャンがいて、お互いビックリの再会。
高校もいっしょで仲良くしてたけど、私が学校辞めたり、フクチャンが短大で一人暮らし始めたりでしばらく疎遠になった。
でも、大学卒業して実家に戻ってからは、飲みに行ったりの付き合いが始まって、21の時、同じアマチュア劇団に入団。
25で私が結婚するまでいろいろあった。


今思えば、些細なことでケンカになって、その後何年間か音信不通になった。
でも、フクチャンがミクシィでメールくれて、そこからまたフツウに付き合うようになって・・・。
そしたらさ、なんとフクチャン、彼氏の家で同棲するって、私の住んでる町に引っ越してきたのよ。
ええええーーこのド田舎ピンポイントで引っ越してくるって何それー!?

何この腐れ縁的なものーー!?
すげーすげー縁を感じちゃったよね。
このまま、ばあちゃんになるまで付き合いが続くんだろうなーって思ってた。


何気ない日々ばかりだけど、振り返ってみると楽しいことしか思い出せない。
フクチャンにはホントお腹がよじれるほど笑わされて、いつも話が尽きなくて、夜中まで話して笑い合ってた。
行きつけの喫茶店、向かいの席に座って、甘いコーヒー飲んでるフクチャン。
しょーもないくらい普通の日々が、今はすごいすごい大事すぎる思い出になってしまった。


こうなることは分かっていた。
だけど、早い早すぎるわ。私と同い年だよ。
自分を若いとは思わない。だけど、死ぬには早すぎると思う。
心残りがいっぱいあっただろうと思う。

姪っ子ちゃんの赤ちゃんを見たかっただろうな。
猫たちのことも気がかりだっただろうな。
また劇団のみんなと飲み会したかったんじゃないかな。

・・・だけど、フクチャンはフクチャンなりに覚悟のようなものを決めていたようで、最後の最後まで入院せずにいたそうだ。
相当しんどかったと思うけど、家にいたいって入院せずにいたそうで、入院したのは極わずからしい。
そして、本当に最後まで、みんなを笑わせるような・・・いつものフクチャンだったらしい。
自分なりに自分の最期までの在り方を決めていたのだと思う。


いっしょにダラダラ喋ってた頃は、いろんな弱音も言ってくれてたから、あのフクチャンがそんな強い意志を持って、自分の最期を決めてたんだなと思うと、驚くし、自分はそんなふうにはなれないだろう恐怖を感じた。
こういう時、人の本質って現れるものなのかもしれんね。


お通夜の席では、久々の友達にたくさん会えた。
フクチャンと私と3人でいっしょにルームシェアして暮らそうって話してた友達とは、本当に疎遠になっていて、10年ぶりくらいに再会した。
本当にこんなことでもなかったら、会わなかったと思う。
久々に会うのがこんな席だと言うのが残念だけど、フクチャンが引き合わせてくれたのかなと思う。


行き道、電車に揺られながら、帰り道は目が真っ赤になって、ションボリした気持ちで帰宅するのかしら・・・と思ったけど、昔からの仲間たちとフクチャンの思い出話に花が咲いて、あんなことあったねーフクチャンあの時こうだったよねーって思い出して笑って、こういうのフクチャンの人柄なんだろうなって思った。
お通夜の帰りにこんな笑いながら、じゃーねー!って言ってるなんて思いもしなかった。


家に帰ってからもそうだけど、普段なら単純にイラついてることや、しまったー!ってなるはずのことに、フクチャンのツッコミが自動で脳内再生されて、気持ちが落ち着くよ。
最後までと言うか、最期を過ぎても(!)みんなに笑顔を残してくれるフクチャンを私はすごいと思うし、本当にありがとう!って伝えたい。
フクチャンに、こんなにみんなフクチャンのこと思ってるよ!って伝えたい、分からせたい!
他にもいっぱい伝えたいことがあって、でも・・・そのどれももう伝えられないんだよね。


うざがられても良いからメールでも電話でもいっぱいして、思ってること伝えれば良かった。
迷惑かも・・・なんて、自分の保身にすぎなかったんじゃないかと思うわ。
後悔することは尽きなくて、切りがないけど、どうしようもない。


私は、今この一分一秒当たり前に生きていて、きっと明日も当たり前に生きてると思うけど、この一秒一秒全部フクチャンが生きたかったはずの時間なんだよね。
ありきたりすぎな言葉だけど、フクチャンの分も一生懸命生きたいと思うよ。


正直な話、自分で思ってたより、全然泣いたりしてないんだ。
ホントはわあわあ泣きたいくらいの気持ちで、時々胸がつまりそうになるんだけど、どこか涙腺の決壊を食い止めてる自分がいるんだよね。
きっとそれは、今の自分の生活があるからだと思う。
掃除洗濯炊事なきゃーとか、自分のやるべきことが日々あるから、泣いていられない自分がいるのだと思う。
その自分の生活をね、しっかり生きて行こうと思うよ。

それからね、もう解散してそれぞれの生活があるけど、劇団の仲間と年に1回くらいは会いたいなって思う。
フクチャンと共通の友達がどこかでつながってれば、みんなフクチャンのこと忘れないし、フクチャンのこと話せるし。

あと、今日はこれが一番言いたかったんだ。

フクチャンがやりたいって言ってたテーマの台本書いてみようかなと思う。
どれくらい時間がかかるのか、ちゃんと完成するのかわからないけど、書き始めてみる。
私も以前とは違うからさー、一々文章を書くのに迷いが生じまくるわけよ。

だから、書くことがすげーすげー億劫で怖いのね。

だけど、本当はずっと前から「書きたいな」って、それは思ってたんだ。
思っていて、フクチャンに「私も書くから、またいっしょにやろうね!」って言おうと思って、言わずじまいだったんだ。
今さらで、「おせーーよ!」って、またフクチャンの声が聞こえてくるけど。

書くよ。



フクチャンありがとう。
さよならは言いたくないし、さよならなんて思っちゃいないから言わない。
いっしょに過ごしてくれた楽しい日々にありがとう。
たくさんの笑顔をくれてありがとう。