「こんな家に産んでごめんね」
高校二年の時にお袋から云われた言葉です
私の姓を A とすると・・・
昔、A家の一人娘のトコに男性が婿養子に
子供が二人出来るが、幼い子を残して奥さんは死亡
そこへ戦争で旦那を亡くした女性が後妻としてくる
女の子2人、男の子1人出来る その男の子が私
だから私は A を名乗ってるけど A家 の血は一滴も入ってません
お袋は姑から相当苛められてたみたい
よく陰で泣いてた姿見てました
私のお産の時 自宅の2階で生まれたんです
「お産は病気じゃないんじゃから、はよ仕事せぇ」
産後の三時間後には家業の食料品店を手伝わされたとか![]()
先妻の子供連中の我がままも相当酷かったみたい
私とは15以上年の差があったのかな
間に入ってた親父は養子の身分で、お袋の味方はしません
見てて不甲斐ない男でした
貧乏症のお袋はいつも動っきぱなし
常にお店の仕事、裁縫の内職をしてた姿を記憶してます
私が東京へ出てきた半年後、後を追うように上京
すでに上京してた姉達の近所にアパートを借りる
黙って突然上京したから、田舎に残ってた親父、義兄達は怒り心頭
お袋はと云うと、上京してからは生き生きと輝いてました![]()
こんな経緯があったからお袋が死んでも A家 の墓には入れてもらえず
東京湾の沖合いで私達兄弟が業者立会いの元で散骨
少し手元に残し、今年の5月末に私が田舎に帰り墓石の周辺に撒く 勝手に
たぶん、最後の墓参りになりました
今現在、姑 義理の姉、兄、親父も他界
その代わりに義兄の嫁、その子供連中が幅を利かせてます
私自身、田舎との繋がりは全く絶ってます
会えば私がキレそうで怖い気もしますので
私自身も A家 の墓に入る気なし お袋同様、散骨希望
お袋の晩年 約三年ほど一緒に住めた事で親孝行出来たと思うようにしてます
もちろん、悔いは残ってますが
あれから三年目 早いもんです
89歳で没 私はそこまでは無理でしょう