台湾の雑踏力      

            lemon no heya

 

小雪降る底冷えの日だった。

 この旅平成十四年二月三日。十二時五十分発台北行の飛行機は、予定通り富山空港を飛び立った。節分だが春はまだ遠く、行を決めたころ、中国が日本海に「排他的経済水域」なるものを一方的に決め、届けのない飛行機の通過を認めない、という声明を発表した。不穏な空気が国内に流れていた。アジアへの旅行を自粛するムードも高まっていたが、連れのМ子さんが同意したので、行くことにしたのだった。

飛行機は日本海側を飛ぶのではなく、日本列島を横断し、愛知県上空から太平洋に出て沖縄の東側を通り、台湾へと向かった。一時間ほどして、昼食の機内食が配られた。メニューはローストチキンカレーと麦と野菜のサラダ。パイナップルケーキとウーロン茶。麦と野菜のサラダが珍しく、味もおいしかった。食後のコーヒーを飲んでしばらくすると、もう台北空港に到着した。三時間半あまりのフライト。JRで富山から大阪ほどの所要時間である。こんなにも近い。

日本との時差はマイナス一時間。台北の街はまだ明るく、初めての国に降り立った私はわくわくしていた。

空港で現地のガイド周さんが待っていた。二十八歳だという気さくな青年で、日本語が堪能だった。男性六人、女性十二人。総勢十八人のツアーでる。点呼のあと、

「飛行機で隣の席にいらっしゃいましたね」

 三十歳くらいと五十半ばに見える女性の二人連れに声をかけた。

「村﨑といいます。親子で海外旅行は初めてなんですよ。魚津の金太郎温泉の向かいに住んでいます」

「娘のユカです。よろしくお願いします」

「私達は富山市から来ました。こちらこそよろしくね」

自己紹介が終わり、気さくな母娘とすぐに意気投合した。一日目は台中市泊りである。中華料理を食べ、ホテルに着いたのは午後七時ごろで、部屋は村﨑さんの隣だった。

「まだ早いし、寝るにはもったいないね。台湾名物の夜市へ行きませんか」

 ユカさんに誘われた。台湾の夜市は有名なので、同行することにした。部屋に荷物を置いて私たちは玄関ロビーに集まった。

フロントで情報を聞き、台中市で一番大きな夜市へ行くことになった。笑顔が愛らしいフロントレディが、

「屋台の食べ物は食べないこと。帰りはコンビニでタクシーを呼んでもらい、お帰り下さい。お気を付けて」

 流暢な日本語で説明した。

 ホテルからタクシーに乗って十五分ほどで、夜市の入り口に着いた。タクシー代は五百元だった。

 夜市の入り口あたりは腐ったような、酸っぱいような強烈で癖のある臭いで息もできない。これが有名な夜市なのか。肩がぶつかるほどの人ごみと熱気でむせかえっている。息を殺して歩いて行くと、魚介、野菜、果物の露店が軒を連ね、漢方薬、香辛料、茶葉の専門店、カエルや蛇を食材として売る不気味な店もある。人の流れに身を任せて行くと、見物人はますます増え、年末のアメ横状態であった。はぐれないようにМ子さんとユカさん親子としっかり手をつないで、押されるように歩いて行く。市場の奥の方ではホルモン焼き、アイスクリーム、揚げ物、お好み焼き、ジュースなどの食べ物屋がひしめき合って、若者が大声で客を呼びこんでいる。店の前に行列ができていた。

 お祭りのようで老いも若きも高揚している。夜市はいくつも枝分かれして、増殖するように広がっていた。食べ物エリアを過ぎると衣料品、化粧品、靴鞄、アクセサリーの店がひしめく一画があった。どの店も原色の派手な飾りつけをしている。その周囲にもアイスクリームやジュースの店があり、甘い匂いを放っていた。慣れてくると、露店を覗く余裕も出てくる。

 ユカさんとМ子さんが靴を買いたいというので、靴屋へ入った。品物が豊富でぎっしり何段にも陳列されている。値段は日本より安いが、品質はよく分からなかった。M子さんはこげ茶の革のブーツ、ユカさんは刺繍のある紺色の短靴をそれぞれ買った。鞄の露店で、私は花柄の小さい手提げを買った。

二時間があっという間に過ぎた。明日は早いので帰ることにしたが、出口を見つけるのも一苦労だった。迷い、人ごみに押され、やっと大通りに出てコンビニをみつけた。サークルとローソンが向かい合せにあった。大通りは人とオートバイと車で雑踏状態だ。オートバイは三人乗りして、車の間を縫っていく。交通違反などないらしい。黄色のタクシーがひっきりなしに停まり、人が乗り降りする。活気があってエネルギーが爆発しているような、ちょっと危ない街だ。ユカさんがローソンの店長に英語で「タクシーを呼んで」と頼んだ。若い店長は親切だった。三十分ほど待ってタクシーが来たときはほっとした。

 二日目は、巨大な布袋像がある宝覚寺や蒋介石の別荘があった湖・日月譚を見てから高雄市の蓮池譚へいった。蓮池譚は池の上に神社が建っている、龍の口から入り、虎の口から出てくると縁起がいいという場所なので、ここも観光客でごった返していた。旧正月だから、特に混んでいるらしい。台湾バナナと釈迦頭という果物を買って食べてみた。台湾バナナは十七、八センチほどの大きさで、完熟のため皮が茶色だった。釈迦頭は小ぶりのメロンほどの大きさだ。表面の緑色の皮はお釈迦様の頭のような瘤で覆われ、見た目は固そうだ。中は白く、どろりとしてヨーグルトの味がした。

夕食の後、愛江という川幅三十メートルもありそうな河でクルージングを楽しんだ。水量が豊かで湖のようにゆったりしている。川べりのホテルやビルのイルミネーションが水に映って揺れていた。気温は二十三度。全然寒くない。河添いに屋台が並び、地元の家族連れ達が楽しそうに覗き込んでいた。川風に吹かれた一時間のクルーディングが終わると、

「今晩も高雄の夜市へ行きましょう」

 またユカさんに誘われた。もちろん行く。六十代の男性二人も誘い、六人で出かけた。広場で演奏や歌などの催し物をやっていて若者たちが群がっていた。電飾された「ねぶた」に似た大きな飾りが迫力満点だった。「ねぶた」の起源は台湾か、更に遡って中国かもしれない。高雄市の夜市は台中市より食べ物屋が少なく、イルミネーションが豪華絢爛なのが特徴だった。

「台中市の夜市のように臭くないね」

「あの強烈な匂いは(しゅう)豆腐(とうふ)といって発酵させた豆腐の匂いだよ油で揚げて、甘辛いたれをからめるとおいしいので、現地の人たちは好んで食べます。匂いなど気にしないですよ

連れの男性が教えてくれた。彼は仕事で台北に住んでいたことがあり、台湾の食物に詳しい。臭豆腐こそ台湾の匂いというべきか。「郷に入れば郷に従え」というけれど、臭豆腐のハードルは高そうである。

 九時過ぎ、ホテルの部屋へ着くと、バーンバーンと弾ける大きい音がした。三階の窓からのぞいて見ると、爆竹が破裂しもうもうと白い煙が蔓延していた。花火が次々に上がって、路上にたくさんの人が集まっている。向かい側に神社らしい建物があり、騒々しい音楽が鳴り響いている。

そのうち赤や緑の(のぼり)や花で装飾した神輿(みこし)がやってきて、笛や太鼓に合わせて騒ぎまくるのだった祝儀らしきものを渡す人、神官のような装束の人見物客も入り混じり、大混乱の様相である。人が乗っているものや、変わった装飾の神輿つぎつぎやってくる。ひっきりなしに爆竹炸裂、見物人は熱狂して騒いでいる。喧嘩でも始まったのかついにパトカーが来て取締まで始まった。

まさに住民たちのエネルギーが爆発する光景だ。こんな熱狂的というか、ハチャメチャな祭りは日本でも見たことがない。祭りは深夜まで続き、うるさくて眠れなかったが、旧正月ならではの行事だったので、見られてラッキーだった。

翌朝、神社へ行ってみたら、路上はゴミだらけ。神社は張子、神官は赤、青、ピンク、緑の衣装を着た人形だった。

花蓮ではアミ族という原住民の中へ入って踊った。原住民たちはアイヌのように集まって生活し、民族舞踊を見せ、民芸品を売って生計を立てている。東南アジア系の容貌で、見た目は漢民族とはかなり違った。

レトロな九份や台北市の夜市も食事や買い物を楽しむ市民や観光客で溢れていた。

台湾の人口は二千三百万人。国民の年収は日本の半分だという。人々はエネルギーやバイタリティーに満ち溢れ、貪欲に生きているように見えた。

夜市や祭りに見た台湾人の力強さたくましさ。その雑踏力とでもいえばよいか、パワーはすごかった。夜市を見ずして、台湾は語れない。

四泊五日の短い旅だったが、台湾の原点をかいま見た気がした。