横浜市妙蓮寺のピアノ教室
いそざき音楽教室へ
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ご訪問ありがとうございます
昨日は、
グレンツェンピアノコンクール
昨日は、
グレンツェンピアノコンクール
横浜予選でした。
当教室からは
六人の生徒さんがエントリーされ
無事、全員予選通過しました。
おめでとうございます。
昨日の会場は
みなとみらい大ホール。
全国にも誇れる
素晴らしい
設備のホールです。
コンクールの審査は
審査員の方々が
全神経を集中させ、
演奏するお子さんも、
その日に向けて
涙ぐましい努力を積み重ね
消しゴムの使えない
その一瞬にかけて
演奏されます。
ピアノの音以外の音は
全て排除されなくては、
正しい審査はできません。
その中で
ビデオを開く大きな
電子音が流れたり
(録画禁止のはずです)
下のお子さんが
騒いでも、口をふさぐだけで
一向に出ていかれない、
演奏が始まっているのに
いつまでも
席に着かず階段を
パタパタ上り下りのひとが
絶えない
など。
この間に
一生懸命 演奏している
お子さんが
とても気の毒に思いました。
どうしても
余分な音の方に
耳が集中してしまうからです。
発表会でもコンクールでも
コンサートでも
演奏者が最適な状態で
演奏できる環境を
作るのは
観客としての
最低のマナーだと思います。
タイトルの
公共の場に身を置くとは?
は、神奈川区民文化センターの
広報誌のもので、
たまたま目に付きました。
抜粋してみます。
「公共とは、公の場であり、
誰にでも開かれています。
見ず知らずの人と
場と時間を共有するということです。
自分の客席の周りの
ほかのお客様から
良い影響も悪い影響も
受けます。
携帯電話が鳴ったり
飴玉の紙のカサカサカサカサ
という音が響いたり
パサッとパンフレットを
落とされたりと
会場から色々な音がして
自分が思うように
音楽を鑑賞できないことがあります。
コンサートホールの客席に
身を置いて音楽を聴くとは
ある意味、修行のようなものです。
クラシック音楽はマイクを
使いませんので、
奏者も観客も音の反射を繰り返して
会場内に響く
空気の揺れに全神経を
集中させなければなりません。
普段は気に留めないことが
気になってしょうがなかったり
普段なら許せることが
どうしても許せなくなったりします。
そのような状態で
音楽を楽しめるでしょうか?
これは音楽鑑賞だけではなく
日常生活においても、
ある意味、修行のようなものです。
クラシック音楽はマイクを
使いませんので、
奏者も観客も音の反射を繰り返して
会場内に響く
空気の揺れに全神経を
集中させなければなりません。
普段は気に留めないことが
気になってしょうがなかったり
普段なら許せることが
どうしても許せなくなったりします。
そのような状態で
音楽を楽しめるでしょうか?
これは音楽鑑賞だけではなく
日常生活においても、
言えるのではないか?と考えます。
いかがでしょうか?」
自分も含めて
今一度考えてみたい
文章でした。