ご無沙汰しております
更新が一週間も空いてしまいました…トホホホ
途中でお話の流れを変えてしまったので
今困っております。
このお話は当初『伊勢物語』の「身をしる雨」を下敷きに
在原業平・藤原敏行・業平の家に仕える女
(原典では名前はないのですが私は楓と名付けました)
の三人を中心にした短いお話でした。
他にもいくつか伊勢物語や古事記を基にした
短いお話を考えていたのですが
平安初期の歴史的な出来事を調べているうちに
そちらが面白くなってしまって
あった事なかった事の妄想を絡めて
今のようなより長く複雑なお話になってしまいました。
その為登場人物の数も当初より随分と増えて
自分でもわかりにくくややこしくなってしまったので
呼称を統一したりといった交通整理的な作業が必要な気がしています。
そこで一旦下書きに直して再び始めようと思います。
日付はそのままなので最新記事は変わりませんが
再更新するたびにメールの通知が行くので
メール通知を外して頂いた方が良いかもしれません
以下はちょこっとmemo 参考に
身をしる雨の原文と現代語訳です
伊勢物語(107段身をしる雨)
原文
昔、あてなる男ありけり。
その男のもとなりける人を、内記にありける藤原敏行といふ人
よばひけり。
※”よばひ”って夜這い( ̄ー ̄)ニヤリ
されど若ければ、文もをさをさしからず、ことばもいひしらず、
いはむや歌はよまざりければ、
かのあるじなる人、案を書きて、かかせてやりけり。
めでまどひにけり。さて男のよめる。
つれづれのながめにまさる涙河袖のみひぢてあふよしもなし
返し、例の、男、女にかはりて、
あさみこそ袖はひづらめ涙河身さへながると聞かば頼まむ
といへりければ、男いといたうめでて、
今まで、巻きて文箱に入れてありとなむいふなる。
男、文おこせたり。得てのちのことなりけり。
「雨の降りぬべきになむ見わづらひはべる。
身さいはひあらば、この雨は降らじ」
といへりければ、例の、男、女にかはりてよみてやらす。
かずかずに思ひ思はず
問ひがたみ身をしる雨は降りぞまされる
とよみてやれりければ、蓑も笠もとりあへで
しとどに濡れてまどひ来にけり。
(拙訳)
昔高貴な男がいた。
その男の家で仕えていた女のもとに内記の地位にあった
藤原敏行という人が通っていた
けれどその女は若く手紙の書き方もきちんとはわからず、
書くべき言葉も知らず
いわんや歌は詠む事もなかったので
その主である男が下書きを書いて返事を女に書かせた。
返信を貰った男は大騒ぎして喜んで歌を詠んだ。
ただぼんやりと耽るこの思いの涙川で袖が濡れてしまいました
貴女に会えないままで
返信として例の主の男が女に代わって
貴方の涙川は浅いから袖が濡れるのです。
身も流されるほどの涙を流したと聞けば御頼りできますのに
と返歌したので内記は大層ありがたがって
今も文箱に入れてあるらしい。
内記が文を寄越した。これは内記が女を得て後の話である。
「雨が降りそうで気持ちを持て余しています。
私が幸運ならばきっと雨は降らず会いに行けるのですが
雨が降って今夜は会えそうにありません。」
といったので例の主の男が女の代わりに詠んで返歌を送らせた。
貴方が私を思っているのかいないのか
問い難い問い… 私への貴方の思いが如何程か教えてくれる
雨が降っています
と詠んで送ってやると蓑も笠もつけず、
ずぶ濡れのまま大慌てでやってきた。
またmemoとして歴史的な資料カテゴリーを作っています
殆どはウィキペディアを基にした
教科書にも載っていそうなことばかりですが
平安初期の朝廷のややこしいドロドロの手引きとして
参考になればと思います
最後に私の近況について少し
以前ツイッターについて触れましたが
私が常駐しているアカウントは
lemarともシンイとも関係のない以下のような
社会的な事象について呟いています。
最近の香港は自由を失いつつあり
香港のデモを指導した周庭氏も中国当局に拘束されました。
今から10年ほど前やはり今の香港と同様
中国当局の横暴により自由を失った地域があります
中国の新疆ウイグル自治区です
見るのが辛い映像もありますがYoutubeで一度
”Han Chinese mobs attack Uighur man”を検索して見て下さい
あらましが映像として残っています
またこの件については「ウィグル ジェノサイド」で検索すれば
更に詳しく知ることが出来ます
また50年ほど前の文化大革命の頃には
チベットでも同様のジェノサイドが進められ
中共は水源地とパンダを手に入れました。
だから私はパンダが嫌いです。
こちらもご参考までに