NIPPONハ、スバラシイ。 -2ページ目

NIPPONハ、スバラシイ。

日本人として世界に発信する日本に関するブログ。

教育現場での教師から生徒に対する体罰。スポーツ界の顧問が教え子にセクハラや暴力。職場での上司からのパワハラ。

度重なる大人たちの情けないの一言では済まされないニュースが連日報道されている。



ここでいう「大人」とは、つまり上司などの比較的年齢層の高い年代の人たちを言っている。いわゆるオッサンたちだ。


続く不況や、昔のように自由には生きられない責任でストレスが溜まっているのかもしれないが、それを暴力に変えて発散するなんて頭がどうかしている。「若者は・・・若者は・・・」なんて言っている場合ではない。


暴力やパワハラをする大人たちを、俺たちは一体どうやって尊敬すればいいのか?

こんなことを繰り返してたら、オッサン世代と俺たちの世代(10代20代)はいつまでたっても理解し合えないだろ。


ニュースにならなくても、または暴力などの事件にならなくても、学校や職場では大人からのたくさんの理不尽な要求小さなイジメがあるのは間違いない。

昔は少しの暴力は許されたかもしれない。昔は体育会系の人たちが上に立ち、それが正解だったかもしれない。

でも今は今で、昔はもう過ぎ去ってしまった。



オッサンたちは嫌いじゃないが、そろそろ自分を見つめ直すときだろう。



あくまでも、俺の意見ね。

今回の記事はこのブログのテーマから少し離れる内容にする。(ネタはいくつか用意してるよ)

というのも、どうしても今持っている気持ちが収まりきらなくなったからだ。

こうなった時に、いつも俺は何らかの形で表現したいと思ってきた。その手段といえば友達に話すくらいのものだっただろう。

でも俺は話すのが得意じゃない。話しても本当に一部しか伝えられなかったりして、悔しかった経験がたくさんある。
だから自分からあまり話しをしなくなったかもしれないな。

こういうと、俺がまるで無口で頑固で不器用な昭和のお父さんみたいなイメージを持たれるけど、俺はおしゃべりはたくさんする。人を笑わせるのも好きだし、人が言ったことに対して大いに笑う。

ただ、自分のことを語ることが少ないらしい。

「らしい」と言ったのは、俺は知り合いに指摘されるまで全く気づかなかったからだ。気づか「された」のはつい最近のことである。


「あなたって自分のことを話さないのねっ」




・・・だからこうしてブログを作っては世の中に発信している。そう、新たな表現方法を手に入れたのだ!!

いつもキレたらブログを更新するのも、こうすることしか怒りを表現する方法がないからだろう。(悲しいなww)






前置きが長くなったから、そろそろ本題に行く。




少しありきたりな始め方で申し訳ないんだけど、俺の気持ちが溢れかえってしまった思いを綴っていこうと思う。





・・・世の中には2種類の人間しかいない。


それは



「お金持ちになることで幸福を掴む者」



「お金がなくても幸福を掴む者」


だ。(小論文かよw)




世間的に見れば、後者の方が精神的に強く、どんな状況にいてもその中から幸福を見つけることができるスバラシイ人間だ。


一方前者は金が全てだと思い込み、金のない人生は終わってると考えている。完全に悪者のように見えるので良く言うと、世の中に対して少し現実的なのかもしれない。




そして俺はというと残念なことに前者だ。(哀れな男よw)




でも勘違いしないでくれ。

「世の中カネが全てさ、ウヘヘヘヘヘ」

なんてことは思っていない。(それが間違ってるとも思ってないけど)


でも、

「お金で幸福を買うことはできる」


とは考えている。


よく、「幸福はお金では買えない」というが、もちろんそんなものはいわゆるキレイごとだ。(と、俺は信じている)




直接、「幸福」という商品をその場で買うことができないのは確かだ。


ただ、お金があることで、例えば好きのものを買えたり、おいしいものを食べることができたり、俺の好きな海外旅行(一回しか行ったことないけどw)、もっといえば留学だってしに行くことができる。生活がもっともっと充実したものになるのだ。

逆に言えば、充実した生活(その人個人が思う必要最低限以上の生活)をもたらすのは、紛れもなくお金だ。



そうして得た充実感は、同時に「あ~もうやっべぇ~最高っ」という感情を手に入れることができる。

=幸福 だ。


そしてそれが欲しいから、人は頑張れる。というか、夢を持ち、強い意志を持って生きることができる。

そのほとんどは、お金そのものが欲しいからではなく、お金で好きなことをして、幸福を買いたいと願っている。



え?それはつまりお金が欲しいってことじゃないのって?



そうかもしれない。


でも、お金そのものを欲しがってる輩っているだろ。お金がそいつらにとってステータスなんだよ。多ければ多いほど、優越感に浸れるんだ。


そいつらにとっては、お金そのものを手に入れることが幸福のための目標だけど、俺は違う。

俺はお金で幸せな経験が欲しいんだよ。俺はどんな状況にでも満足できるような強い人間じゃないからね。


だんだん話にまとまりがなくなってきたから、俺の言いたいことを勘違いされる前にもうやめとく。


(ほら、今回もブログのくせに結局まとめられなかっただろ?笑)



あくまでも、俺の意見ね。



P.S

俺がこんなことを言っているのも、今お金がなくて、したいことができないからっていうことだけかもしれないな・・・。

もしそうだったら、将来、このブログを読んだときに、この考えが間違っていたと気づけるだろうね。楽しみがまた一つ増えました。
しばらくブリのくせにまたしてもキレながら書いてる俺は少し痛いやつだとも思えてきたw
ただ、俺はいつも怒りやこんちくしょう精神をパワーにして生きているので、そこは許してくれ。


少し前に書いた、『俺が最も伝えたいこのブログの目的』と合わせて読んで欲しいんだけど、まず確認しよう。

言葉って何のために存在するの?



いろんな意見もあるかもしれないけど、根本的な目的は、

「相手に伝えるため」

で間違いないよね?相手に伝えたいから言葉が生まれたんだよね?間違ってたらコメントで教えてください。


それにも関わらず、ここ日本で英語(カタカナ語)を使ってくる頭でっかちは一体なんのために使ってるの?っていうのが今回の主題。


日本語には、たくさんの英語が使われていて、英語でしかもう伝わらない単語なんかも存在する。

例えば、インターネットで使われる「ウェブ」という言葉は説明する以外に、単語で日本語には変えられない。


このような場合はこれを使うしかないのだからいいだろう。


他に、「ヘルメット」というのも、一応日本語訳はあるみたいだが、その訳が「防護帽」だとしても、そう言われてわかる人はいない。いたとしても、「ヘルメット」と言った方が確実にわかりやすい。



わかりやすいのなら、そっちを使うべきだ。



そして俺が今回問題にしてるのは、日本語の方がわかりやすいにも関わらず、英語(カタカナ語)を使ってくるインテリぶりやがったバカ野郎だ。

そんなやつは一周周ってもう一度バカになっちまったに違いない。




今日とあるウェブサイトを見ていたら、こんな文が出てきた。


「○○さんが、来年のイベントでキュレーターになる。」




・・・????

ってなったね。みなさんわかりますか?まぁわかる人はいるんだろう。万人に理解が可能ですか?答えは間違いなくノー。



その万人のうちの俺が理解できなかったんだからノーだろうね。俺は「バカ」だとよく言われるが、そんなバカにでも分かる言い方をするべきだ。(自己中なやつだなw)


そんなバカが意味を調べたところ、意味は「イベントを主催する人」とかそれを管理する人のことをいうらしい。



誰が理解できるのそれ?英語勉強してる人くらいだろ?(俺も普段から英語を勉強しているが、単語力のなさのせいでわからなかったw)


そして俺を完全に怒らせたのが今日のニュース番組での専門家のコメントだ。


昨日あたりから話題になっていた、愛知の立てこもり事件。(詳しくは、調べてください)


あの事件には交渉人がいて、その人が犯人との交渉をしていたらしいんだけど、そのことに関して専門家みたいな人が

「あの事件の解決には、ネゴシエーターがいて・・・」

まぁ、俺にはわかったけど、わかんない人も絶対にいるだろ?

でも実は、その「ネゴシエーター」って言ったことに対して俺はキレてるわけではない。本当に腹が立ったのは、そいつが格好付けて「ネゴシエーター」って言った後すぐに、

「まぁ、交渉人ですね」

って言いやがったことだよ。ふざけてるだろ?後に日本語で説明加えるなら最初からそっちを使えこの大バカ者。



インテリなやつってのは本当に鼻に触るやつばっかりだな。いいかげんにしろよw
もっと納得できること言ってそのインテリぶりを発揮すれ。お前らが頑張って今まで勉強してきたその努力をバカみたいな表現にこだわって無駄にするんじゃねぇよ。



何のために言葉があるのか?

この目的を忘れなければ、こんなことは起きない。(そう、俺にとってはその発言の方が事件だったね。笑)


理解できない人がいたとしたら、完全に言葉の選択ミスだろう。さらにそれが自分の評価のためだとしたらただの寂しがり屋のナルシスト決定だ。(ちなみに「ナルシスト」の日本語訳は思い浮かばない。「自惚れた自分」って感じでいいかなw)


英語(カタカナ語)を使わないといけないとき、使ったほうが良い時は意外とたくさんある。
でも、日本語の方がわかりやすかった場合、そこで英語(カタカナ語)を使うのはどんな理由があってもかなりのナンセンスだよ。(ナンセンスってどういう意味だろう。笑)

言いたいことが伝わらなければ、手段としての言葉の意味がない。

インテリぶってるやつは、もっと周りを見るべきだな。



あくまでも、俺の意見ね。