ひさかたぶりに「グラン・ブルー」に回帰のど嵌り込みを
してしまったので、ついでのことにもう少し。
わたしは前世がインドの尼さん、ではなく、修行僧だったそうだからか、
ユングいうところのアニムスが強いなあ、と感じることがよくある。
要するに、「おっさん」的な思考が、よくわかる。
よくわかる、の内容をあんまりばらすと、お下劣になってもいけないので
やめておくけれど。
それでもまあ、今世はをんなという生物学的生をいただいているので、
それに付随するこころの動きも当然自覚はするわけだ。
「グラン・ブルー」には、ジョアンナという、ジャックを恋いに恋う女性が出てくる。
ペルーでの初対面でどっか~んと打ち抜かれ、あとはもう、ひたすらまっすぐに
どどどどの勢いでジャックに向かっていく。
現実の世との接点をみつけあぐねている男に恋をするわけだから、
女の視点から見れば、それはそれはせつない。
いくらジョアンナがジャックを好きななろうが、ジャックときたら、
イルカの写真をジョアンナに見せながら、自分の家族はイルカで、こんな素敵な家族を
持っているのは世界中で僕だけだ、と自慢する。
ジョアンナのおなかに、わが子であるあたらしい命が宿っても、
「わが子」がジャックと現実をつなぐ蝶番になったりはしない。
むしろ、そんなことは自分の心の手枷足枷なんだとばかりに、
ジャックの心はさらに海へ海へと向かう。
最後のシーンが、いい。
ジョアンナが、恋心も現実生活への執着もなにもかも放りすてて、
ジャックを海へと送り出す。ジョアンナの恋は、ジャックという純で不器用ないきものを
愛するために、現実という縛りを取っぱった巨きな愛に変わらざるを得なかった。
そして、ジョアンナは、自分を説き伏せ、それを見事にやってのけた。
「行って、わたしの愛を見てきて」
と、ジャックを海へ還すのだ。
ところが、晴れて海に還ったジャックが見るのは、ジョアンナの愛なんかではない。
海に還ったが最後、ジャックには現実の人間の愛なんてものを
すっかり忘れてしまう。
やはり、ジャックが愛してやまないのは
いのちの源である海そのもの。
ただ、それだけ。
ジャックの安堵と最高のせつなさを残して、
エンドロールが上がっていく。
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命ごと巨きな愛を知って海