無人島に持っていく映画を、たた一本、選べ。そういわれたら、一瞬たりとも迷わない。

「グラン・ブルー」(1988)。監督のリュック・ベッソンも、いまや日本国TOYOTOWNのドラえもん

となってしまったジャン・レノも、まだ、ハリウッドの風にあたっていないころの、カルトといわれた映画。


主人公のモデルは実在の人物、ジャック・マイヨール。機材を用いないフリーダイビングの第一人者。彼の素潜り中の脈拍は、1分間に26回程度。通常の人間の60~100回にたいして、驚くほど少ない。人間のそれとは思えず、彼が魂を添わせ続けたイルカに近い。1976年、イタリアのエルベ島で前人未到のフリーダイビングの記録を確立したのち、ジャックはその世界から遠のく。そののちは、イルカと人間とが、その組成、心性ともにいかに近い存在かを訴えながら、その共存の道を探っていた。それは、とりもなおさず、イルカにより近い彼が、現実の世界とどう折り合っていくかという試行錯誤の道でもあったのだろう。


Too Pure にして Awkward。現実社会を生きるにはあまりに純で不器用なジャックは、2001年、エルベ島の海を見下ろせる部屋で自死している。


「グラン・ブルー」は、「ニキータ」を撮った、ハリウッド化する前のリュックによって、映画らしく演出されている。フリーダイビングの競技会、というある意味スポ根エンタメの要素も、ラブロマンスもあり。だけれど、現実の結論を求める女と、イルカ側の世界にしかうまくコミットして生きられないジャン=マルク・バール演じるジャックのロマンスはひとすじ縄ではいかない。男と女の溝、ということに加え、決して相容れない人間のタイプという溝は埋まりようもなく、ロマンスはせつない結末に。それはジャックという人間の、存在自体のせつなさでもある。


フリーダイビングの競技会に出てくる、カリカチャライズされた日本人グループの描写もご愛嬌。

が、圧巻はなんといっても全編随所に現れるさまざまな水中シーン。プールを泳ぐまことに「人間らしい」イルカも、自らが家族と呼ぶイルカと戯れるジャックも、水に包まれて文句なくうつくしい。


フリーダイビングでジャン・レノ演じるエンゾが、ジャックが、海の底に向かって潜っていくシーンでは、地上にあって脳だけが重力から解放され、すーっと陶酔の域までつれていってもらえる。そして、ほんとうに海に還らざるをえなくなったエンゾが「Take me back down.」とジャックに告げ、しずかに海に還っていくシーンは、ことあることにその台詞とともに、わたしのなかに蘇る。


そう。

Take me back down.

いのちの源へ。


全編の中でいちばん心惹かれるのは、はじまってから2時間34分あたり、ベッドに寝転んでいるジャックの幻想シーンだ。天井が波打ちはじめ、やがて海となる。おおくのイルカたちが海ごとジャックを包み込む。ここで、エリック・セラのたゆたうような音楽が最大限に映像をひきたて、映画における奇跡のワンシーンとなる。


シュノーケリングか、タンクを背負ってしか海に潜らないわたしだが、今から25年前、沖縄の慶良間諸島ではじめてスキューバダイビングをしたときには、この世にこんな世界があるのか、と、目から鱗、どころか、目玉自体が顔から飛び出してしまいそうなほど驚いた。以来、海の中はわたしの「還るところ」。実は、この慶良間、時期的にちょうど湾岸戦争にかかって中止となった新婚旅行のかわりの行き先としてはじめて訪れた。当時のわたしは、結婚という現実の枠とか責任を果たして、そのさきそれをずっとしょっていけるのか、そんなの、わたしには無理なんじゃないか、という無限ループにはまり込んでいた。いわゆる、マリッジブルーのどん底。タンク一本、また一本、と潜っては、地上の無限ループは永遠に続くのだ、と絶望していた。とばっちりは同行の新夫にいくわけで、彼は「わたしを海の中に置いて帰ってほしい」、と、旅行中に「新妻」から言われ続けた。わたしは張本人だからして仕方ない。が、彼にとっては、なんてひどいまじまりだ。どれほどひどい人生のパートナーだ。


それでも、いま、まだ共に暮らせているのは、はじまりがどん底で、そこからすこしずつなにかを、積むともなく積んできたからだろう。そして、おおきくは、わたしがジェットコースターに乗っているかような人生の上昇と急降下を繰り返すよこで、動じない大人加減を自然体で発揮し続けている夫が、「この人はこんどはいったいなにをおっぱじめて、なにをやらかすんだろう?」と、おもしろがり続けてくれたからだろう。


この9月、今度は友人と慶良間を訪うこととなった。いつかスキューバダイビングをやってみたい、と言い続ていた彼女は、54歳にしてはじめて、エアタンクを背負うことになる。この世で、モノなんか要らなくて、お互いにファンキーで、いい感じにクレイジーで、そう思っているのは、じつは本人たちだけで、家族やまわりはもしかすると苦笑しながら手を焼いているかもしれないが、でも、本人たちはいつもなにかしら必死で、意図的に人に迷惑をかけたり傷つけたりする以外に人生のタブーがさしてない、という素敵な友人だ。


ジャックはイルカに近づきすぎてしまったが、わたしはイルカに心を寄せ続けながら、それでも、結婚して子を生し育て、生後半世紀まで、幾分は現実も生きた。海に還ったまんまでいたい、とは、もう思わなくなった。友人と泊るのは、夫との新婚旅行で泊ったのとまったくおなじ座間味島のまったくおなじ民宿。25年前、夜はなんにもすることがなくて、宿のご主人にすすめられ、夫ともども近所の小学校で地元の人たちとバドミントンをして過ごした。素朴純朴で親切な宿のご主人はご健在だろうか。


人生、ことあると、還りたくなるのは、

人間界の音から隔離され、

ゆったりとした、たゆたいの音しか聴こえない、

海の中。


でも、それはいつでもはかなわない。


そんなときには、「グラン・ブルー」の中に入り込んで

自分の修復を感じられるまで、出てこないのが、いい。