ふたしかな恋のはじまりにおいて、女というものは、

それでものたしかを求めてしまういきものだ。

実際の「ネル」「ネナイ」は別として、もしもそうなるならば、

相手に対して大脳のたしかなGOサインがなければ

女は前に進めないから、かどうかはわからない。

最近では「スポーツなんとやら」と称して「ネル」スタイルもあるとは聞くが、

こちとら、頭も心もがっちがちの昭和。ともすると、時代錯誤の

文学ミーハーとして「文を交わして、ようようののちに

お逢いできてたいへんうれしゅうございました。」なんていう

明治大正のかおりがぷんぷんとする妄想をずりずりと

引き摺っているものだから、ゆめゆめそんなわけにはいかない。


りっぱに大人、と呼ばれる友人女子たちは、

おっとどっこい雷に打たれて出会ってしまった、で、

ふたしかな恋のはじまりに突入となれば、もれなく

「そりゃあ、相手が自分をどう思っているか、絶対に言わせる!」

「一方通行片想い?ないない。そんなら、やめる!」

と息まく輩が多い。実際に手は下さないけれど、

気持ちだけなら、男の胸ぐらをぐいと摑んで

「あなたはいったいぜんたいわたしのことが好きなのかどうなのか」

と詰め寄る、なんならぐいっと締めあげる、の威勢のよさ、だ。


そうだよなあ。わたしだって生物学的には彼女らとおんなじ

臓器をもっているわけで、彼女らの「胸ぐら摑んで」、は、わかる。

わかるうえにもわかりすぎて、痛いうえにも、痛い。

でもここで彼女らをまねて、ぐいっ、ができずに、怯んで三歩下がるのは、男に対して、

「あなた、まあ、こんなわたしに好かれて、ご愁傷さまのごめんなさい」

という同情にも似た思いがあるからだろう。


だいたいがいい年をして、たいがい自分を持て余している。

無様で不器用で異形のココロが自分でよく見えている。

ワケアッテ、「コンナワタシガイキテテゴメン」を抱えながらあることろまでやってきて、

「コンナワタシダケドイキルヨ、ドウセナラ、ワラッテ、ヒトヲワラワセテ」となれたのが、

いい大人になってしばらくの後、だもんだから、「イキテテゴメン」の思い癖はきっと、

ずっとその根を張っているんだろう。

根っこが「ココニイルコトガ、ゴメン」で、それで男を好きにでもなろうものなら、

それはもう男に対して「ゴメンゴメンノウエニモ、ゴメン」。

だから、ふたしかな男に詰め寄ったりしない。

「ゴメンゴメンヨ、フタシカナママデイイカラ」と、自分のぎっりぎりまで、頑張る。

あとから思うと到底無理なやせ我慢だが、やっている最中は本人、

なんならこの恋、わたしの存在ごとかける!、の勢いで、まったく余裕なし。

大好きな男にメイワクを、フタンをかけてはイケナイ、の必死だもんだから、

やせ我慢の結果、どうなるかに、考えが及ばない。


で、結果、どうなるか。


やせ我慢の「イイカライイカラ」にココロがもちこたえられず、突如として決壊する。

あんなにもすきだったものを、瞬間にぱっと手放したくなる。

すきであればあるほど、痛いうえにも痛いのだから、その痛みから解放されようとする。

一瞬にして痛みが閾値をば~ん、と超えてしまうのだ。


あほ、だ。ド、がつく、あほ、だ。

なんなら、レミファソまで付けたっていい。

この世でいまいちばん迷惑を掛けたくない男に、ああ、

このうえないド迷惑をかけてしまう。傷を負わせてしまう。

「大好き」から「好きじゃない。たぶん。もう。」への転換の速さと言ったら、

男をバンジージャンプの台の上に祀り上げて拡がるキボウの景色を見せておいて、

突然、うしろからのドン、で突き落とすのか、の勢い。

愛しい男をこんな目に合わせるくらいなら、

さいしょのさいしょっから、女の臓器の求めるままに、

胸ぐらぐいっ、をやればいいのだ。


そしてさらにの厄介が、待っている。

痛いうえにもの痛みから解放されたらば、こんどは、

余裕のできた心が

またゆっくりと向かい始める。


いったいどこへ?


ついさっき、突き落としたとおなじ男へ。



ド・レミファソ。

ド・レミファソ。



とどのつまりに巡り巡って

いったいどこまでのごめんなさい。


突き落とされてわれにかえり、衝撃吸収巨大クッションの上で、

「ったく、しょうがねぇな」、とやおら立ち上がってぱんぱんと

わたしが木っ端微塵にしたのであろう誇りと埃をはらい、

クッションの端で自分の犯した過ちのおおきさで途方に暮れて

頭を抱え込み、それでも男を待っているこんなにも厄介でド・レミファなわたしに

ほんとうの誇り高き「ほらよ」の手を差し伸べ、

手を繋いでもういちどジャンプ台の上までをともに

一段一段昇ってくれる。


そんな特別天然記念物級に寛大な男がもしもいたとして、

ともに昇ったジャンプ台の上でレ・ミファソと声を合わせてくれるなら、

そこからは永遠が見える、だろうか。