私の誕生日は、俳人種田山頭火の命日

(1940年10月11日)にあたる。

山頭火の母は、不幸にして、彼が11歳のときに

井戸に身を投げてしまった。

山頭火の母の命日、3月6日は、私の父方の祖母の

命日であり、母の誕生日でもある。


そして、その翌日、つまり、きのうは、

芭蕉忌(1694年10月12日(旧暦))。

私が短詩文芸である俳句、ではなしに

川柳に出会う前に生まれた娘には、

なぜか、蕉風俳諧根本理念のひとつの音を

いただき、しおり、栞と名を付けた。

しおりとは、対象に対する作者の

繊細な感情が、自然に余情として

句にあらわれたもの。

細かい心の機微がわかるような人に

なってほしい、との思いを込めた。

娘が生まれて数年後。自分が短詩文芸の

道に入るとは、つゆ思っていなかった。


この世にやって来て肉体をもったなら、

好むと好まざるにかかわらず、

行くべき道があるのだろうか。

そうだとしたら、私がいま進んでいる道は、

ちゃんと正しい方へ向かっているのだろうか。


 

  真砂なす数なき星の其中に

     吾に向かいて光る星あり  (正岡子規)



果たして、子規のいうような星が

私にも与えられているのなら、

日々ひとつづつできることをこなしながら、

その光の方へ進んでいると信じたい。