新年の帰省をした。生家は岡山城と後楽園に

徒歩十分のところにある。ドーナツ化現象による

生徒数の減少で、岡山城のお堀を挟んで

南側にあった母校の中学は平成一一年に

閉校となった。


正門を入ると右手にはお城の石垣の一部がそびえ、

その上で新入生を迎える桜が咲いた。

跡地は県立図書館となり、

石垣も桜も今はない。



実家に泊ると、翌早朝は必ず後楽園の外周を

散歩する。岡山駅前通を真っ直ぐと西に進むと、

城下と呼ばれる地区の旭川の川原に出る。

左手には烏城の岡山城、川向こうに

こんもりと繁る森が後楽園だ。


鶴見橋を渡ると後楽園の正門。夏の観蓮茶会など

特別の行事を除いて、早朝は開園していない。

お決まりのコースは正門をそのまま抜けて、

園東側の駐車場に出る。

駐車場は幅十五メートルほどのアスファルト敷きで、

園の外周に沿って奥へと続く。


駐車場の東側は土手で、下の川原を見下ろすように

染井吉野の並木になっている。車は、この桜の下に

ずらりと一列に停める。川原へ降りると

川幅五メートルほどの旭川からの支流が流れており、

その傍の土の道を、南に向かって歩いていく。


支流を挟んで向かい側の川原も遊歩道で、

見上げる土手の上はこちらも桜並木だ。



 母がよく、幼い妹と私を乳母車に乗せて

この辺りに連れてきてくれた。

駐車場下の川原は、中学のときに

 所属していたバレー部のランニングコース

でもあった。

地元の大学に通った私は、恋人と

大学の授業をサボって、

 当時まだ無料だったこの駐車場で

よく時間をつぶした。


 同級生の彼が川原に向かって車を停めると、

 彼の隣で川を眺めているだけで、

助手席の私には甘ずっぱい時間が流れた。


 今年はじめの散歩道。駐車場から土手への

階段を降りようとして

 違和を感じた。


 今まで変わらなかった、

 これからも変わらないと思っていた風景が

 変わり始めていた。


 川原の舗装が始まっていたのだ。


 年若い母や幼い私たち姉妹が、

 ファイトの掛声とともに走っていた

ユニフォーム姿の私が、

 他愛ないことで頬を赤らめた

私が埋まっていく。


 心の手でありったけの想い出を掘り出し、

 大事に抱えて残りの散歩道を歩いた。


 次の帰省では、「いつも」は幻になるだろう。