二〇一一年十月十日。


十八年前に一年間だけ暮らした

旅先の仙台で昼から半日だけ時間が空いた。

市街地のバス停を歩いて通りがかったとき、

若林区深沼海岸行きのバスが私の横で停まり、

乗車扉が開いた。

とっさに、キャスター付きの

大ぶりの旅行鞄を持ち上げて飛び乗り、気付くと

バスに揺られていた。


座席に腰を下ろすと程なく、昼下がりの陽射しと

バスの揺れで、ウトウトとなった。


仙台駅前の繁華街を

抜けた辺りまではおぼろげな記憶がある。

街中のデパートやスーパー、商店の買い物袋を提げた

乗客でバスは結構込み合っていた。



「お客さん、大丈夫ですか?」



あたたかいノックのような声で、浅い眠りが覚めた。


バスを運転しながらの運転手さんの声だった。


「いや、荒町を過ぎても乗ってられるから

心配になって。」


、と。


乗客は私一人になっていた。

以前、仙台で暮らしたこと。

半日の空き時間で、浜行きのバスに乗ったことを告げる私に、

運転手さんは、そうですか、とだけ答えた。


ご家族やお宅は無事でいらっしゃいましたか?、と、

喉まで出た言葉が、車窓からの景色で凍った。

震災後7ヶ月。がらんとして土剝き出しの土地に、

原型を留めない車や住めなくなって主を失くしたままの家が

いまだ点在していた。

バスは現在も終点の深沼海岸までは行かず、

手前の笹新田で折り返し運転をしているという。


仮の終点で降りた私は、復興という言葉とは程遠い辺りを見回し、

なすすべもなく、バス停の前のベンチに腰を下ろした。

ぼんやりとしたままの私に、近くの広場にバスを停めた運転手さんが

近づいてこられ、


「折り返しのバスに乗るなら、

もう乗っててもらっていいですよ。」


と、だけ声をかけて下さった。



しばらく潮風に当たった後、バスに戻った。



街中へ向かって次第に増えていく乗客の乗降の都度、

先ほどの運転手さんの声が、


「揺れますのでお気をつけ下さい。」


「降りたところの足元が段差になっています。

ご注意ください。」


との丁寧な社内アナウンスをされ、それが

車内の空気をやわらかくした。


ただただ復興を待つ浜のバスは、

人々の絶望とかなしみをも運んでいた。


心ある運転手さんが、それらに

そっとそっと寄り添いながら。