今僕は大学でバドミントンサークルに入っているのですが、そこへの不平不満が溜まってきたのでここで吐き出してみることとします。
これは自論ですが、なおかつ間違ってはいないと信じているんですけれど、サークルっていうのは公園と同義だと思っています。ある遊具で遊びたいとか友達を作りたいとかの目的で、いろんな人たちがその公園に入ってきて、そこでいろんな遊びをするイメージでしょうか。公園なんて公共施設ですから、本来百人百様の人が集まって当然です。そこで他人に干渉したりすることはしませんよね。アスレチックで遊ぶ多数派が、砂場で遊ぶ少数派を責めたり、むりやりアスレチックで遊ばせたりするなんてしないでしょう。みんな何をやっていてもいいけれど、遊びたいとか友達を作りたいという目的だけを共にして集まってる、そういうのが公園でありサークルだと思っています。
ですが今のサークルは、いささかその本来の姿を見失っているような気がしてなりません。その公園を根城にする集団が、少数派に自分たちと同じように遊ぶことを強要することがあまりにも多くなっています。それでいて、同じようにできないなら公園を出ていけばいいとそういう姿勢です。そんなの公園を我が物にしようとするガキ大将と変わらないじゃないですか。子供のころの公園でならいいんです。それを諌める大人がいました。先生がいました。「わたしと小鳥と鈴と」なんて詩を読んで、「みんな違ってみんないい」を教えてくれる人たちがいました。だからみんな自由に公園を利用できました。でも大学生にもなるとそういう存在がいなくなって、多数派が少数派を虐げる仕組みができあがってしまうのは、どうしたものでしょう。
僕は、「サークルは公園である。バドミントンをする環境が欲しくてその公園に遊びに来ただけである。いつ遊びにくるか、だれと遊びにくるか、いつ帰るかなんてことは僕の自由にしていいじゃないか」という考えです。その考えがわがままとされてしまうサークルは、いかがかものかと思うわけです。
そういうと、必ずこういう人がいます。大人数のサークルをまとめるには、そういう強制も必要だと。そりゃそうでしょうよ。なんの利用規則もない公園なんてただの不良の溜まり場になるだけです。でも「みんなが遊んでる遊具で遊びましょう」なんて張り紙がしてある公園がどこにありますか。張り紙するなら「仲良く遊びましょう」とかそういう類のものでしょう。強制することの矛先を間違えてませんか。そう思うわけです。
僕の周りで同じように考える人はいないわけではないですが、同じサークル内には少ないのが現状です。その現状を打破しようとする人ならなおさらでしょう。それでもなんとか根回しして、少しでも仕組みを変えていけたら、と思う今日この頃です。