祖父の兄です。
先日、祖父と多一さんと佐々木家の墓参りに行ってまいりまして。
多一さん(85歳)
戦争に駆り出され、戦後もソ連によってシベリアに抑留されてはりました。
しかも三年間も。。
会う度に色々とお話を聞かせてもらってます。
わずかな配給の食料やマッチの話。
一日3本のマッチの配給がある中で、手先の器用な多一さんはそのマッチを切って4本にする名人だったそうで、ワシしかそれは出来なかったと自慢されてました。
一日わずかな配給のパン
レンガ一個位の大きさを10人以上でわけるそうです。
佐々木家長男として愛嬌フルパワーで発揮した多一さん。
ロシア人に気に入られよく分けてもらってたそうです。
気に入られたせいで抑留長くなったそうですが…
やはり佐々木家の長男なので基本チャラけた話ばっかりしますが、その中で真剣な、少し悲しい顔になって言われた言葉が忘れらませんでした。
『誰も天皇陛下万歳なんていうて死んどらへん。最後は"お母さん"言うて生き絶えよった。
祐ちゃん、忘れたらあかんど。
今、どう言われてるか知らんがシベリア鉄道はワシらが作ったんや。動けへんようなった奴は配給ももらえへん。働かざるもの食うべからずや。そうなったら死ぬしかない。垂れた水はすぐ凍るような寒いトコで毛布一枚しかない。そんな中で作ったんや。』
なんも言えませんでした。
僕は戦争をしりません。歴史で習っただけです。
赤紙もらった時はやっと男として一人前に認めてもらったと嬉しかったそうです。
当時の常識がそうであり、今ならなんぼでも言える反戦もその時に生きていればそういう考えは中々できなかったのではないかと思います。
現代で反戦を掲げて現代で反戦を訴える方を本当に応援します。
でも現代で過去の人達ばかりを批判する事は過ちを繰り返さない事は大切やけど、それはどうなんかなと少し疑問に思います。その当時生きてたらあなたは同じ事を言えてますか?と。
国を守る為に死んでいったとかよく言われるけど、自分の大事な人を守るために死んでいかはったんやと思います。それは大きい意味で国を守る事。
国が先にあるので無くて大事な人あっての国を守る。
感謝する事は忘れたらあかんと思いました。
でも戦争で日本人が傷つけた人達への謝罪の気持ちも忘れたらあかんと思います。彼らもまた大事な人を守ってたから。
戦争って色んな角度からの色んな立場からの正義が入り混じって、状況をよく知らへん僕がどうこう言えませんのでとりあえず多一さんからのお話で感じた事を書いてみました。
多一さん、昔の女優さんのキレイさに同意を求められてもその女優さん誰なんか僕はわかりません。
『これがジェネレーションギャップや』ってうちの祖父(79歳)がつっこんでました。
おしまい。
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