土曜日も日曜日も、そして昨日の演奏会も、急な事情で私が恩師の代講をすることになり、その後のゼミまで引き受けることとなった為、
どの演奏会にも、どの演奏者の応援にも行くことが出来ませんでした。

恩師はかなりの高齢で、それでも熱心な講義を続けているのですが、昨日は不整脈の症状まで強く出るようになり、私は、午後4時には自分の担当する仕事はすべて終えていたのですが、
急遽、河原町駅から校舎まで引き返さざるをえないこととなり、本当に、やむを得ない状況となりました。
どうか、また是非、演奏会の企画を御一考下さい。
大分痩せましたし(笑)、おみやげをもってお伺いしたいと思っております。

更新もしていないのに、よく見に来て下さる方々、そして、コメントまで残して下さる方々に、本当に、深く深く感謝申し上げております。ありがとうございます。


『恩師』と書きましたのは、実際に学恩のある師のことです。

以前、中々認められない学校設立認可申請等、様々な運を向かせる為に、一部の者が朝の掃除を始めた際、
それを、携帯電話の横で反対する者に脅しをかけられながら、頼むから掃除をやめてくれ、などと、真面目な者が一斉に失望して離れることになるような電話をかけてきた某名誉教授の話ではありません。
その組織からは完全に離れており、私はこの数年、一切関わっていません。


今、京都は各寺院で、朝、蓮の花が大変美しく咲いています。
蓮は、寺院によって明らかに種類が異なり、色も大きさも様々で、伝えてくるメッセージも豊かです。
汚泥の中に咲くような人を師にもつことが出来た研究者は、本当に幸せだろうと思います。

『いたずらに人の師となるべからず。いたずらに、人を師とするべからず。』

この言葉は実に重いと、実体験と自戒を伴いつつ、毎日、何かの場面で考えることがあります。


この季節は、青紫の桔梗の花も、境内で同時に咲いていることが多く、最近は移動出来る長いプランターの中で大事に育てられ、
花が連続して咲くようになると、門の側や、石畳の通路の両サイドなどに配置されています。

まるで、訪れる御客様へ、最初と最後に何事かを伝える、大切な役目を任されているかのようです。

蓮や桔梗の咲く姿は、観る人を思わず優しい顔にし、冷静で、客観的な視点の大切さについて、思い出させてくれたりします。

恐らく、多くの人が、自然の美を目の当たりにすると、本当の美とは何かということについて、考えを巡らせたことがあるのではないでしょうか。

今、一番大切なことは何か。何が一番美しい姿か。
最も優先順位の高い「考えるべきこと」、それを踏まえた上で、一刻も速く「取り組むべきこと」とは、何か。

後世から見ても共感され、誰が見ても明らかな真実とは、何か。

非常に陰湿な、醜い問題が発生した時に、それをひとまず受け止めた上で、最も尊く、誠実な対処の仕方とは、どうすることか。

殺す訳にもいかない以上、共に生きて行く姿勢、加害者も被害者もある程度納得がゆく、責任倫理にかなった共生の方法とは、どうあることか。
どのように判断することか。

ここに、善い悪いを越えた、何らかの緊急性を要する価値判断、「遠い将来から振り返った視点」から見た『美』についての価値判断が、人によって、様々、考えられる訳です。

毒矢が刺さった状態であれば、真っ先にまず毒矢を抜くことが先であり、毒矢を放った者について問うことは後で良い、という説話と似ています。


『すでに、まず処分ありき、で、◯山の言っている内容が明らかな矛盾に満ちているにも関わらず、3年間のペナルティが先に与えられた訳です。
少なくとも、喧嘩両成敗で、同等のペナルティが、その時に異動となった張◯や、◯山に科されるべきではないでしょうか。』

という、対処の仕方も確かにあります。
ですが、もう少し上の次元の価値判断を模索してみようと、今、取り組んでいる訳です。


芸術について考える際に、脳内でフル回転する『美』の次元の価値判断が法的思考に加わりますと、結論は本当に明るい多様性にあふれ、

いわゆる、刑罰に代わる対処の仕方、『ダイバージョン』の事例を増やす思考方法を豊かにすることにもつながりそうで、
この3年間の忍耐を活かすことにもなり、こちらも、嬉しく思えてくるような気が致します。


蓮の花にも、同じ種類の中で、豪華絢爛に咲くもの、小さく可憐な立ち姿のまま咲くものがあったり、
来訪者を見送る桔梗のそれぞれの株、ひとまとまりの花からも、連想される『美』のイメージは様々です。

その、様々な美のイメージからいざなわれる、それぞれの価値判断が尊重され、芸術の分野以外にも活かされる。
これは、非常に善いことではないでしょうか。


平安時代の旅行装束をまとった女性が、まるで道を尋ねるかのように立ち止まり、
一番尊いこととは何でしょうか、一番美しいこととは何でしょうか、と、静かに問いかける、

そのような桔梗の立ち姿、様々な思いに揺れる可憐な蓮の華へ会いに、皆さん、是非、朝の京都へ一度お越し下さい。

Blog公開初日に、47人もの方々に読みに来て頂き、その内、何名かは公開と同時にすぐお越し頂いたようで、驚愕でした。

訪問者があまりにも多い上に、どなたかわからない方々からのフレンドリーなコメントも多くて、
初日の47人の方々の訪問時間を見ながら、あなた方は討ち入る場所を間違えている、などと、色んなことを思いつつ、笑ってしまいました。

多少のことではありますが、やや疲れて帰って来ていることもあり、ほんの少しずつの更新を、どうかお許し下さい。

30日は、午後6時半頃に行ったにもかかわらず、ヒレブロックも肩ブロックも売り切れで買えず、今日になってようやく購入出来、先程、煮込む過程にやっと入った、という感じです。

また、後で、いろんなことと一緒に、御報告致します。
おはようございます。
新聞折り込みチラシの、近くのスーパーの安売り広告欄にあるヒレブロック、肩ブロックを見るだけでも、心の動揺を禁じ得ないlegalです。

ブロックは、いくつになっても、それをあてがわれた者に、創造力と忍耐力を育んでやまない、素晴らしい道具ではないかと、感謝の念が足りなかったことをしみじみと思います。

よーし、今日はヒレブロックか、肩ブロックを煮込んで、後々笑いのネタにもなる、何か美味しい料理にでも挑戦しようかな!

初めてのブログネタが、まさかこんな内容になるとは、思ってもみなかったlegalでした。

どこが笑える所か一切わからない、そこのあなた。
わからなくて良いのです。

では、これから3時間。修行に行って参ります。

                  合掌。