一番手軽にできて、間違いのない先祖供養は、「親孝行」だと思います。



両親というのは、自分という人間を製造してくれた、いわば“神さま”にあたります。

そんな一番近いカミサマをないがしろにして、遠くのお寺や神社にお参りに行ったってダメなのです。笑



別にモノを買ってあげるとか、何か特別なお祝いごとを推奨しているわけではありません。

ただ、いつもやさしく接するように心がければ良いだけです。


「誰も産んでくれなんて頼んでない!」「勝手に産みやがって!」というような態度をとってしまう時代があった方もいるかもしれません。



でも100%間違いなく、自分が生まれることを望んだから生まれてきたのです。

その証拠に、人は“幸せ”だと感じると、「死にたくない!」と思います。

本当に生まれたくなかったのであれば、いつだって「死にたい」と思うはずです。



今のところ人間は、母親の肉体を通してしか産まれることが出来ないので、「人間をやりたいと思っている私」に腹を貸してくれたことに、本当に感謝したほうがいいように思います。



顔を合わせているときはうまくできず、ついいつものようにケンカ腰になってしまうかもしれません。

その場合は、せめて顔が見えないときだけでも、ひたすら感謝してみます。


心から感謝していれば、そのうちに、家族間にありがちなゾンザイな物言いになったりもしないし(なっても、すぐに気づきます)、おのずと思いやりのある態度になってくるはずです。



というわけで、現在存命中の、一番近い身内に対する態度をまずは改めて見直してみるといいかもしれません。



「うちの親は普通と違うから・・・」などというイイワケは関係ありません。

親だって人間です。

そもそも、「母親らしい」とか「父親らしい」なんて誰が決めたのでしょう。

“私”という存在を産み、成長を手伝ってくれた存在なのです。


その人はもしかしたら、うまく愛情表現ができない個性の持ち主かもしれませんが、それはその通りで、ひとつの個性を持った、ただの人間なのです。


「親としての愛情が足りなかった」人もいるかもしれません。

ではそれに気づいたならば、自分は愛にあふれた人間になれるチャンスだということです。



起こる出来事を自分以外のせいにしていたら、いつまでたっても問題を作り続けます。

いつでも、“自分”が主人公で、どんな場面も、完璧に“自分”が選んでいるのです。

他人のせいにしている時点で、せっかく自分の人生なのに、他人を主人公にしてしまっています。



親孝行は、養父母に育てられたって同じです。


肉体の“製造”は他の人かもしれませんが、人間として現時点までの成長を手伝ってくれたのですから、結局は命を与えてくれたも同然です。


むしろ、血のつながりもないのにあえて大変な作業を引き受けてくれたので、もっとすごい、言うなればスーパーカミサマです。笑



自分より上の身内がすでに全員他界されている場合は、いつも通り、皆さんを思い出して感謝をすればいいだけです。

この場合はもう肉体がないのだから、肉体を通した感謝の表現よりも、“思い”のほうが大切になります。

ですから、お墓参りは大切ですが、本当は“気持ち”のほうに意味があるのです。


「時間がないけどお彼岸だから墓参りはしとかなきゃ」…などと、仕方なく無理やり時間を作って形式だけお墓に行くよりは、たとえその日にお墓参りに行けなくても、普段からご先祖様を思い出して、胸の中で(実際にも)手を合わせておいたほうが何百倍も先祖供養になるのです。


そしてお墓参りは、別に命日やお彼岸に合わせなくても、時間と心にゆとりがあるときに行けばいいのです。



もし“先祖の怨念”なるものがあるとしたら、“末裔にいる自分”がそれを解決できるカギを握っています。

それは自分のココロとカラダに聴けば必ずわかるようになっています。

なぜなら、自分には過去の自分(前世や先祖)の情報がすべてあるからです。


現時点で“肉体を持っている自分”が一番パワフルであり、それを解決できるチカラを持っています。





人間を楽しむ…yoga for life

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