今日、東京を離れることになった。


ほとんどの人がこの時点で意味がわからないと思う。だけど、そうなった理由はここには書ききれないし、また会ったときにでも聞いてほしい。


ただ一つだけ言いたいのは、決してこれはマイナスの感情によるアクションではないということ。


さすがに1年半も過ごせばホームシックのようなものはないし、むしろ手放すのはもったいないほど東京での生活は快適だった。


僕は今すごく前向きだし、元気だ。

それだけはなんとなくわかっててほしいなと思う。





振り返ってみると上京したての頃はほとんど友達もできなくて、目新しくて騒がしい光景に心の中でずっと中指を立てながら生活していた。


だけど、そんな自分を肯定してくれる優しい人にも何人か出会った。彼らがいなければ僕はとっくにどこかでくたばってたと思うし、ほんとに感謝している。




そして自分より5年早く上京した兄にも心から感謝してる。

何人も面白い友人を紹介してくれて、何度も飲みに連れて行ってもらった。


先輩方からすればただの知り合いの弟でしかなかったと思うが、僕にとってあの方々は恩人でしかない。


だから僕は友達が弟を連れて来たりしたら絶対に仲良くすると決めてるのだ。

ほんとにカッコいい先輩方だった。僕もいつかあんな風になりたい。








昨日、東京最後の夜に、黒猫チェルシーの活動休止前最後のライブ、"黒猫の恩返し@渋谷クラブクアトロ"を観た。


彼らのことは一度ブログでも書いたことがあるような気がするが、僕が彼らを知ったのは実は大学生になってからだ。


上京したての4月、やることもなかったのでドラマ版の「火花」を一人でずっと見てた。

そのドラマの中で売れないミュージシャンの「小野寺くん」を演じてる人に興味を持った。それが黒猫チェルシーの渡辺大知くんだった。


兄のライブ以外では初めて、小さなライブハウスのチケットを買って一人で行った。素晴らしいライブだった。

以降、僕はずっと彼らの音楽を聴いてた。


もちろんカッコいい曲がたくさんあったというのもあるのだが、自分でもちょっと不思議なほどに彼らには惹かれた。


何に僕はあそこまで惹きつけられたのか。


それは今思えばきっと、

僕は、火花に出てくる小野寺くんや黒猫チェルシーというバンドの歴史と、自分自身を少しだけ重ね合わせていたからかもしれない。大変失礼な話だが。たぶんそうだと思う。


失敗と挫折の連続で自分の価値が見出せなくなりながらも、僕にはなりたいものがあって、

コンプレックスとリスペクトの葛藤で苦しかった毎日に、

時間とともに変化し、パワーアップしていった彼らの音楽は気持ちよくフィットしたのだと思う。



僕の1年半の傷だらけの青春を一緒に過ごしたバンドを、東京最後の夜に観れて本当に良かった。相変わらずカッコいいライブでした。


930日で活動休止をするそうだが、

彼らがいつかまた帰って来たときにはライブを観たい。

そしてそのときには僕ももっと強くて、カッコいい男になっていたいと思う。















引っ越しの立ち会いも終わり、僕はもうすぐ新幹線に乗る。

おそらくもうしばらく乗ることはないのではないだろうか。高いし。



前向きだとは言ったけど、もちろん悲しいという気持ちはある。


初めて一人暮らしをしたあのマンション。

駅からも遠いし、見たこともない虫に度々出会ったけれど、きっといつか恋しくなるんだろう。

いつも不機嫌だったり泣いたりしてばっかりだったけど、あの部屋は毎日僕を優しく包んでくれた。


 






まだ見てない人はこれからもたぶん見ないと思うので言っちゃうと、

「火花」の売れないミュージシャン、小野寺くんは4話で夢を諦め東京を去る。


でも僕は彼とは違う。


僕は夢の途中どころか、まだスタート地点にも立ってない。


当たり前だが、やらないことには諦めることもできない。今の僕が賢明なのか大馬鹿野郎なのかはまだわからないのだ。


もちろん不安はいっぱいだけど、

やっぱりドキドキする方が人生は間違いなく面白い。楽しみだ。





それでは、

京都までの2時間30分はノスタルジーに浸って、新幹線を降りてからはしっかり前を向いて新しい未来を創りに行きます。




「ノルウェイの森」という小説に、永沢という登場人物の「自分に同情するのは下劣な人間がやることだ」というセリフがある。



本当にその通りだと僕も思う。


だからもう同情はしない。


僕の人生に降りかかることなんて、全部自分のせいであり、全部自分のおかげでしかないから。


泣いてる暇なんてないのだ。





さよなら東京。

またいつか必ず戻ってきます。