死は、人間にしかない。人間には未来があるからだ。
過去、現在、未来を生きている。どれも同じものだ。
頭の中の妄想でしかない。実在しない。
人間だけに死という概念がある。
釈迦は、『生老病死』という流れで説明した。つまり、過去、現在、未来だ。
自分が「生きている」と思っているから「死」があり、始まりを自覚しているから終わりがある。
死を失くすには生を失くすしかない。
そう思った。
その方法が瞑想だ。ただ、観ていることだ。

そして、『老』だ。ろうと読む。老いるとも云う。
「老いるショック」と、みうらじゅんは言った。天才だ。
とくに女性が引っ掛かるのが、これだ。ずるい。
三十代の人は、二十代に憧れ、四十代は、三十代に憧れる。
老だけでは苦にならない。若さへの憧れがなければ、ただの老だ。老にすぎない。
動物に、老はない。若さへの憧れがないからだ。
人間にしか、四苦八苦はない。
すべては、『自分は生きている』という錯覚から生まれた。
そこから、老が生まれ、病があり、死が誕生した。動物には死はない。なぜならば、『生』がないからだ。
釈迦は、その事実に気づいてしまった。解決するしかない。
人間の『苦』の解消に命をかけた。いや、己の苦の解消に。
「しょう」と読む。なまではない。
『生』は、人間にしかない。猫にはないのだ。
つまり、生老病死は人間にしかない。
釈迦が言いたかったのは、それだ。
生きるということがなければ、死ぬもない。
なぜか、人間は「生きる」ということを持ってしまった。ゆえに「死ぬ」ということも持つ。老いるということも持つ。病むということも思う。
生老病死だ。これをなんとかしたかった。釈迦は。
人間は、なぜ、「自分は生きている」と思ってしまったんだろう。そこから「死」は生まれた。生がなければ死もない。セットだ。もれなくついてくる。悔しい。釈迦は地団駄ふんだ。
だっふんだ!!