「砂と霧の家」
ストーリーはこちらを参照 ↓http://www.sunatokiri.jp/index.html ん~、救われない。誰一人救われない。やたらにハッッピーエンドも好きではないが、希望の見えない絶望感だけ残してエンドロールが流れて終わるのも、重い。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「パッション」ほどではないにしろ、見終えた後この二つの映画を見終えた時と似たような感覚になった。 何でも単純に善と悪の二つに分けて、客の感情移入をさそうアメリカ映画(ハリウッド映画)にしては珍しく、この映画では、”誰が善で誰が悪か?” ”強者はどちらで弱者はどちらか?” というのがない。 一見、家を横取りしたかたちになったイランの元大佐が ”悪” のようにも見える。しかし何の過ちも犯していないし当然の権利を主張していると思う。ましてや主人公は完全な被害者だし。強いて言えば”悪”は、ミスをおかしておいてその後の処理も「金だけ返せばいいんだろう」的な無責任な政府なのだと思うのだが、この映画を観る限りではそれをも”悪”という位置づけにはしていない。 対立するそれぞれの言い分にも理が通ってるので、どう解決するのだろう?と引き込まれもする。 確かに悲しい結末で、息子の為に祈りを捧げる場面などでグッとくるものはあったが、主人公の心理描写がイマイチ足りないので、「求めていたのは家(ハウス)ではなく、家庭(ホーム)だった」というのも説得力がない。主人公がこの家を執拗に取り戻そうとしてるのは、単に理不尽に家を取られ、ホームレスになるのがイヤだからだと思ってた。孤独で寂しいのはわかる、父の形見である家と家族の思い出を取り戻す為というならば、もう少し詳細な心理描写が必要なのではないか?それとも、あえてしなかったのか?しかし、何の為にこの家を取り戻そうとしてるのか、というモチベーション的な部分はこの映画の見方が変わってくる結構重要なポイントだと思うのだが・・・・・。原作だと細かく描かれているのだろうか?<下の欄に続く>