こんばんは。

5月14日(日)前橋テルサホールにて、
『月に吠える』刊行100年
第45回朔太郎忌「どこがヤバイの?朔太郎」が、
開催され、行ってまいりました!



備忘録やら感想やらをここにまとめ、このブログを、たまたまでも見てくださった方と、共有できればと思います。

まめ氏、このチラシを見かけた4月から、高速バスだの宿だのを予約し、この会をたいへん楽しみにしておりました。

でも、入場券に関しては、当日買えば良いやあなんて考えてました…(*v.v)。
そんな時、(というか行く前々日くらいに)Twitterで、前橋文学館さんに取り置きをお願いなさった方のツイートをお見かけしました。ま、万が一ということもあるよなと思い、私も電話でお取り置きをお願いしました。
(ちなみにその日は、よりによって携帯を家に忘れ、公衆電話から…!)


いざ、当日。開場の13:30に到着しましたら、な、なんと「チケットは完売しました」。(だったかしら、とにかくそんな感じの文句がありました)

ほんっっっっっっっっとうに、取り置きをしていただいてよかった、と心底思いました。(公衆電話から、だったとかもうそんなのどうでも良くなった)

自分で言うのもアレですが、このためにお金をためて時間をかけて遠路はるばる参りましたので、もう、これは、ラッキー極まりなく、感謝の心をもって、聞こうと思いました。 

では内容に。
(あくまで強く印象に残ったところしか書けませんこと、ご了承ください)

[第一部]
司会進行は松浦寿輝さん(詩人etc)、コメンテータは高橋源一郎さん(小説家etc)・穂村弘さん(歌人)。
このバラバラな感じ、ただよう空気感がそれぞれに異なる感じが、すごくよかった。

まずは、高橋さんのお話。朔太郎賞の選考委員を務めていると《これは詩であるか?詩とは何なのか?》と必ず考えるし、議論になる。中原中也賞の選考においては、そうならないのに。
散文詩と小説に境界線をひけるのか。

これは、私もよく疑問に思うことで、ページをまたぐ長い長い詩になったり、句読点がついたりすると、もうほぼ小説やん、何が違うの?とよく考える。

それで後半、高橋さんがおっしゃっていたのは、
描写が大事な小説に対して、詩はある単語一語が感動的かどうか。ある単語一語で、あとは死ねばいいって思えるのは詩。
例えば、朔太郎が「大井町」の中でたびたび出てくる〈大井町!〉や、
「虫」の〈鉄筋コンクリート〉。たった一語でも脳裏に焼き付いてしまう。もう、これらが朔太郎の頭を支配している。

逆に小説では、それはムリ。むしろ、(高橋さん自身が)世界をつくり出してゆく描写をするとき、安心するくらい。

その「頭を支配する」くらいの感動的な一語があるかないかっていうの、本当になるほどだった。朔太郎の詩は、理解を超えて感覚に訴えてくるものが多い。そのためかリズムも良い。

じゃあ、私にとって、感動的な一語(ないし1フレーズ)ってなんだろう。
ちょっと、挙げてみる。

「猫」の〈おわあ、こんばんは〉

「殺人事件」の〈ぴすとる〉

「天景」の〈しづかにきしれ四輪馬車〉

「くさつた蛤」の〈蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる
(この、〈ちろちろ〉〈舌べろ〉〈赤〉の妖しいミミック感…ミミックの舌は紫色だけどね)

「恐ろしく憂鬱なる」にあらわれる、えげつない数の〈てふてふ……〉


うーん、数えだしたらキリがないかも!でもこのように好きな一語や1フレーズを選んでみるも面白い。(話がやや脱線した気もする)

と、いうことで、今回はここまでにいたします。
拙い文ですが、お読みくださりありがとうございます。
次記事に続きます。おそらく、穂村さんのお話された、口語自由詩のことになるかと。

ではでは良い月曜日をシャボン玉