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バックパッカー、いや元バックパッカーです。

113か国旅して、それから・・・

 EU脱退が決まり世界中を混乱させて大迷惑のイギリス。市場は落ち着きを取り戻しつつあるが、イギリス自体はこれから衰退へと進むに違いない。もっとも世界の海を制し世界中に植民地を確保し富を吸い上げていた時代と比べると、十分衰退しているが。

 イギリスには子供の頃から何となく憧れがあって、ジャガーに乗るってみたかったリ、007が好きだったり、イギリスのバンドが好きだったり。なんとなくアメリカよりイギリスの方が格調高いような、それはただの勘違いなわけだけど。

 実際に私がイギリスに行ったのは2015年だった。西欧、北欧を回る3か月ほどの旅で、イギリスには9日間を割いて、ロンドンを拠点にして近くの街を回ってみようと思ったのだが面倒になってどこにも行かなかった。で、何をやっていたかというと、バッキンガム宮殿の衛兵交代や、ビッグベン、大英博物館、ハイドパークなどを見物し、ソーホーをぶらつき、ホステルのドミトリーに泊まって、パブでフィッシュアンドチップスとビールで乾杯し、などなど。

 ロンドンの物価は高く、そのフィッシュアンドチップスとビールは約3000円もして、こりゃ外食ばかりしていてはたまらんと、スーパーで安いものを買って食べたり、移民がやっている食堂で食べたりと節約もした。移民の増加はイギリス国民には非常に迷惑だったわけだが、先進国に途上国の人が流入するのはある程度避けられないことだ。金は稼げるし世界の公用語である英語で生活できるわけだからそれはもう、シャットアウトするよりうまく取り込む方向に進むべきなのに。

 加えて将来、スコットランド、北アイルランド、ウェールズが独立でもしたら、連合王国崩壊となり、もう大国ではなく小国でもなく中途半端な国になり、国際社会での存在価値もなくなり、と極東の島国から眺めているととても面白い。

 マエケンが抜け、大瀬良が故障、緒方監督の采配は頓珍漢、これは今年も優勝はないと思っていたら、まさかの独走態勢でうれしいやらうれしいやらうれしいやら。

 今更指摘するまでもないが、走攻守三拍子そろった20代の選手を1,2,3番に固定でき、鈴木が急成長し、エルドレッドが打ちまくり、故障したらルナが仕事をする。新井や松山も持ち味を発揮し、先発の駒がそろい、リリーフも勝ちパターンが確立しと、ありがたい限り。野村がこんなに勝つなんて誰が予想していたか。

 コーチの入れ替えもうまくいったようで、監督も成長した。こんなめでたい年に広島市に住んでいればずいぶん盛り上がれるんだけど、あいにくこちらは・・・
 リッチー・ブラックモアがアのレインボーを再結成させ、今月ドイツで二回、イギリスで一回公演を行った。日本にも来れば武道館でやれると思ったが,ご本人はそんなつもりは全くないようで、再びブラックモアズ・ナイトの活動に戻る。

 早速ユーチューブでドイツ公演の映像を見たが、結構がっかりした。ドラムはシンプルすぎて迫力はなく、キーボードもベースも所詮はわき役といった感じ。ヴォーカルは健闘していて、私の好みの声質ではないが声域は広く、ディープ・パープルやレインボーの楽曲をうまく歌いこなしていた。

 しかし、主役のリッチーがいけない。指を手術したそうで本調子じゃないのか、棒立ちでパッとしないソロを弾いていてステージ上は寒い雰囲気が漂っている。リッチーも歳をとったなあ、もうハードロックの人じゃなくなったんだなあ、としみじみと思った。これなら、リッチーもジョン・ロードもいない今のパープルの方がずっと現役感がある。

 それでも今回の三公演のDVDが出たら買ってしまうわけだが、長年ブラックモアズ・ナイトをやめてレインボーをやってくれないかという気持ちに整理ができた。人はだれでも歳をとるものだ。
  バヌアツの首都ポートヴィラの中心部は、海沿いの道路周辺にひろがっていて、地味。地味なんてもんじゃない。見所は市場と海ぐらいで、やることも無く本ばっかり読んですごした。このあたりはメラネシア人がすんでいるのだが、頭はチリチリで肌は黒く、鼻は横に膨らんでいて、アフリカ人とかわりゃしない。
 
 ソロモン諸島の首都ホニアラも海沿いの街でポートヴィラより少々規模が大きい程度。どちらも中国系が商店や食堂を経営していたりして、質の悪い雑貨を売っている。バヌアツで安いスニーカーを買ったら2日でだめになったし、パプアニューギニアで短パンを買ったら、ポケットが縫い付けられているわチャックは2週間で壊れるわ、酷い有様。イマドキの中国でも売ってないような粗悪品をこんな国で売ってるのか?あこぎな連中だ。
 
 タクシーをチャーターして、戦場跡や、朽ち果てた日本の対空砲や、アメリカの装甲車を見に行った。しっかり見物料をとられた。70年前にここで日米の激戦が繰り広げられたのだが、今はのどかな常夏の島、どうも実感が湧かない。
 
 オーストラリアのケアンズからパプアニューギニアに飛ぶと、悪い意味での別世界。物価はオーストラリアと変わらんのにこの遅れ具合はなんなんだ?街は汚いしろくな食べ物はないしやることもないし。それでも、マウントハーゲンではちょうど祭りが行われていて、泊まっていた安宿の主人や従業員が連れて行ってくれたのでありがたかった。ゴロカは街の中心に空港があって周囲は人々の憩いの場になっていた。レイでは目当ての宿が値上げしていたり閉鎖されていたりで困っていると、通りがかった人が安いキリスト教系の宿を案内してくれた。
 
 親切な人もいれば、通りすがりに時計を奪おうとした奴もいたり、行く先々の宿のベッドに体臭が染み付いていたりと、迷惑なことも。まあしかし、パプアニューギニアからオーストラリアに戻るとほっとした。先進国の便利さ清潔さ治安の良さはやはり快適だ。
 オーストラリアのブリスベンからニューカレドニアのヌメアに。到着は真夜中。ミニバスに金を払えば希望する宿まで送ってくれる。私以外は白人観光客だった。彼らが泊まるリゾートホテルに先に寄ったあと、私が指定した街中のホテルへ。しかし夜中なので閉まっており、近くの別のホテルも満室。運転手とは言葉が通じず、私の身なりで判断したのかユースホステルて勝手に連れて行ってくれた。
 
 元々ユースに泊まる予定だったのだが、夜中は閉まっていると知っているので、わざわざ普通のホテルに行こうとしたのだが。運転手はそんなことお構いなしにさっさと去ってしまったので、仕方なく野宿を覚悟して門の前でごろ寝していると、門が開いてひょっこり人が出てきて中に入れてくれた。おかげでベンチで寝そべって朝まで過ごせ、一泊分浮いた。
 
 わずか4日の滞在ではニューカレドニアは楽しめない。週末はほとんどの商店は閉まってしまうので、ヌメアの街は閑散としていてつまらない。おまけに天気も、悪く観光客が集まるアンスバタに行ってもぱっとせず、市内の朝市に行くと雨が降って帰れない。せめて1週間ぐらいとって、周辺の島にも足を運ぶべきだった。
 
  「天国に一番近い島」 森村桂
 
 帰国後読んだ、ニューカレドニア旅行記の古典的作品。亡き父が語っていた「花が咲き乱れ果物がたわわになり神様がいる島」がニューカレドニアではないかと思い込み、東京鉱業に頼んで鉱石運搬船にのせてもらう。なにせ1964年の話だ。日本円は弱く、一般人は飛行機にはとても乗れない。それに当時ニューカレドニアは今のような観光地ではなく、ニッケルが採れるだけの土人の島だった。土人と言う言葉はいまでは差別的なので使われないが、この本の発売当時の副題は「地球の先っぽにある土人島での物語」だった。時代を感じさせる。
 
 着いてからももちろん大変で、ガイドブックなどは無いのですべて自分でどうにかしないといけない。ホテルに泊まり続けていたら、身内に借金までしてかき集めた金はどんどんなくなってしまうので、日系人の家に泊めてもらうことにしたのだが、これも最初は上手くいかず、おまけに盲腸にもなったりして大変。
 
 しかし徐々に日系人、原住民両方に友人知人ができ、楽しい日々を過ごすというお話。今の時代にこんなことをやっても本にはなりにくいし、ましてやベストセラーになってNHKの朝の連続テレビ小説でとり上げられたり、原田知世主演で映画化されるようなこともないだろう。1960年代半ばに女一人でよくこんな旅をやったものだ。その後は約30冊もの本を出し、ケーキ屋を始めたり絵を描いたりと多彩な人生を過ごすが、うつ病になって64歳で自殺してしまう。あのままずっとニューカレドニアにいたら自殺なんてしなかったんじゃないかと思うが、自分の人生もままならないのに他人の人生をあれこれ言うのはやめておこう。